君が見つめた海
〜第二章〜




彼女が手術室に運ばれてから、どれ位経っただろう。
何分?
何時間?
何日?
其れとも・・・・・・





太陽が地平線に近付いていく。
鞠絵ちゃんはサイレンが耳に痛い其の車に乗せられ、ワタクシも一緒に乗り込むことになった。
その時に、鞠絵ちゃんの担当のお医者様に問う。
「あ、あの・・・・・・大丈夫でしょうか・・・?」
お医者様は、答えなかった。
私も無言になり、お医者様の指示で運転席の直ぐ後ろの小さな椅子に座らされる。
邪魔にならないように、隅で忘れ去られていたかのような、小さなパイプ椅子に。
車内は日の傾いた外よりも、少し暑く感じた。
ワタクシは顎に手を当てながら、鞠絵ちゃんの目を閉じた顔を見つめる。
其れは此方に力無く向けられていた。
邪魔にならないように。
ワタクシは何も出来ない。
そう、今のワタクシには何も出来ない。
貴女だけを守る。
そう云った自分が情けなく、悲しい。
力があるだけでは人を守れない事。
鞠絵ちゃんに、教えて貰った事。
今、其れが痛いほどに実感出来る。
胸が締め付けられる感覚。
鞠絵ちゃんと一緒に楽しい時を過ごしている時の感覚と似ている
でも、根本が其れとは全く異なる。
ワタクシが云えない言葉に隠された其れと、現在の此れは違う。
前者は少なからず・・・嬉しさがあった。
でも、後者に、其れは、無い。
・・・眉間の付近が熱くなってくる。
手の平で目を覆えば、視界は闇に包まれた。
視界が消えれば、聴覚と嗅覚が研ぎ澄まされる。
狭い空間を人が動く目まぐるしく動く気配と、そしてガチャガチャと云う小さな金属音が車内に響く。
そして、微かな薬の匂い。
彼女の家でも似たような匂いを嗅いだ事がある。
ワタクシは目を覆っていた手を、ダランと下ろした。
鞠絵ちゃんとの間には、何時の間にかお医者様が立っていて、視界に鞠絵ちゃんは入らない。
でも、ワタクシは見つめ続けた。
彼女の顔は此方を向いているから。
先程までそうだったから。
今も、変わりなくそうなっていると信じて。
世界全てがはそうであってほしいとは思っていない。
彼女だけ、彼女だけに目を向けてほしい。
先刻と何ら変わりなく、ただ其処に居るから。
そう思い、願った後、そうであったら悲しい事だと思った。
やがて、お医者様が退く。
視界に鞠絵ちゃんが入った。
ワタクシは、ギュッ、と拳を強く握る。
鞠絵ちゃんは、露出した皮膚にプレパラート程度の大きさの何かをテープで固定されていた。
服の中から細いチューブが伸び、点滴へと繋がっている。
更に、整った顔には大きな呼吸補助器が付けられていた。
其れは完全に『病人』だった。
昨日まで・・・いや、今朝まで微笑っていた彼女とは似ても似つかない衰弱した姿。
実際はつい先刻までと変わらない。
でも、其れ等の用具が付いただけで、少なくともワタクシの目にはそう映った。
ワタクシはまた目を覆った。
今度は、ずっと其のままだった。
手の平に、雫が次々と流れ込んでくる。
それ以降・・・いや、以前も含めて、ワタクシが車内で出来た事はただ、其れだけだった。





やがて、救急車は総合病院の前で止まった。
彼女の瞳は未だに閉じられている。
ワタクシは其れを見つめ続けている。
膨大な不安と、微弱なの安心感。
其れだけが制していた場。
其れは扉が開き、鞠絵ちゃんは外に運ばれる事によって、終わりを告げた。
ワタクシは其の後に続き、俯き気味に救急車から降りる。
そして視界を上げ、ワタクシは立ち尽くした。
日光を浴びた鞠絵ちゃんの肌は異様なまでに蒼白かったのだ。
其れは少し暗めの車内では分からなかった。
ワタクシは気付けなかった。
何故・・・何故、ワタクシは・・・
「鞠絵ちゃん!」
名前を呼んだ。
叫んだ。
当然、と云っても良いほどに、誰の返事もない。
急に悪い予感がした。
先刻鞠絵ちゃんが倒れた瞬間よりも、もっと、強く悪い予感。
そしてもっと前に感じた事があるような気がする。
其れは・・・何時だった・・・?
鞠絵ちゃんの眠っているベッドは救急車から降ろされると其のまま台車になった。
そして、其れはお医者様達によって病院内へと運ばれていく。
ワタクシはそれに必死でついていった。
普段から鍛錬していた故、体力には自信がある。
しかし、そんな事は全く無視され、ワタクシの息は乱れていた。
不安。
緊張。
自己嫌悪。
全部抱えて、必死で走る。
そんな中、鞠絵ちゃんの手を握ろうとして触れたが、ワタクシは驚き、直ぐ離した。
触れた鞠絵ちゃんの指先は、氷のように冷たかった。
・・・そして、一分。
手術室に辿り着き、私は否が応にも其処でついていく事を止められる。
「鞠絵ちゃん・・・・・・」
今、最も話をしたい人を呼んだ。
扉が閉められると、手術中、と云うランプが点灯した。
如何して・・・・・・
疑問ではなく、ただの確認。
「如何して・・・・・・?」
今度は音とし、言葉にし、問う。
誰でもなく、私達人間には大きすぎる物に。





静寂が訪れた。
ワタクシは手術室の大きな扉の向かい側、少し逸らされた場所にある六人用の長椅子に座っている。
夕方頃の病院、それも事故の少ないこの街で、少なくとも視界の中にほとんど人は見当たらない。
鞠絵ちゃんが運び込まれたことにより、お医者様や看護婦さんの動きはあった。
ただ、其れは十分も経たずに静まる。
そして、今ワタクシの耳に聞こえるのは遠くの雑音。
心の中にあるのは混沌。
落ち着いていられる自分が不思議で、苛立つ。
・・・・・・そうだ・・・皆に連絡しないと・・・
人数も多いので、もしかしたら連絡の行き届いていない人も居るかもしれない。
全員に連絡が届いていても良い。
今は何かしていないと、耐えられない。
だから・・・
鞄から携帯電話を取り出した其の時、廊下の向こう側から硬い靴底が床を叩く音が聞こえた。
数秒、曲がり角から一人の少女が姿を現す。
「衛ちゃん・・・」
ワタクシは其の少女の名前を口にした。
彼女の口から一定のリズムで吐き出される息。
其れはワタクシの目の前で彼女が止まるのと同時に、急に大きく聞こえた。
「はぁ・・・はぁ・・・は、春歌ちゃん!ぼ、ボク・・・鞠絵ちゃんが・・・た、倒れたって聞いて・・・」
安定していない息を、膝と胸を押さえながら必死で整え、そう言葉にした。
ワタクシは頷く。
衛ちゃんの表情は普段からは想像もつかない程、悲しみが浮き出ている。
其れは、ワタクシの初めて見た表情。
見る機会がない程、私達十二人は倖せだった。
訪れた沈黙。
ワタクシは喋らない。
衛ちゃんも、喋らない。
何を云えば良い?
何を云えば・・・変わる?
ワタクシは携帯電話のボタンの上で指を滑らせる。
短縮設定された、誰にかけるべきか、と考えながら。
「ボク・・・・・・」
沈黙を消したのは、衛ちゃん。
「さくねえに、電話してくるね・・・」
「・・・・・・ええ」
ワタクシが頷くと、衛ちゃんはスッと来た道を振り返り、小走りで駆けて行った。
良く見れば、彼女の拳は硬く握られ、黄色くなっていた。
そして気付く。
ワタクシの其れも、彼女と同じ状態にあったと云う事に。
再び、携帯電話に視線を落とす。
今度は迷わずに『9』を押し、通話ボタンを押した。
呼び出し中のコールが三回なった時、床に傾けていた視界にふと黒いロングブーツの足首が見えた。
先程までなかった其れに驚愕し、バッと顔を上げる。
「ち、千影ちゃん!?」
其処に居たのは、今まさに電話を掛けた相手。
無表情にワタクシを見下ろしている千影ちゃんと、未だに驚きから聲を出せない状態で見つめ合う。
「・・・・・・・・・何を・・・・・していたんだ・・・・・・?」
冷たく、低く、放たれた言葉。
「・・・え・・・?」
ワタクシは良く聞こえなかったので・・・いや、違う。
ハッキリと聞こえた。
何をしていたんだ、とワタクシを責める言葉。
だからこそ意図を知りたく思い、訊き返した。
すると、彼女は左手で自分の額を押さえ、其の手首を右手で掴んだ。
「いや・・・・・・・・・何でも・・・・・・ない・・・・・・・・・様態は・・・・・・?」
上半身をやや前に傾けさせ、歯を食いしばった聲で彼女は問う。
「様態は・・・分かりません。ごめんなさい・・・」
「いや、良いよ・・・・・・・・・君の所為じゃない・・・・・・」
彼女はやっと左手を額から離す。
再び見えた顔は、普段と変わらずに冷静其のものだった。
ワタクシは顔を彼女の視界から下に逸らす。
「あの・・・・・・」
「知らないよ・・・」
問う前に彼女は答えた。
「鞠絵ちゃんが如何して倒れたのかなんて・・・・・・そんなの・・・・・・分かる訳ないじゃないか・・・・・・」
千影ちゃんは嘲り気味に口の端を吊り上げた。
・・・本当に?
藁をも縋る思いのワタクシには、そう疑わせる。
千影ちゃんを信じていない訳ではない。
信じたいから、疑いたい。
希望は、そうだった。
でも。
「・・・そう・・・・・・ですわね・・・」
ワタクシはそう返事をする。
同時に心に彼女の言葉を定着させた。
千影ちゃんを信じて。
千影ちゃんを疑いながら。
「でも・・・」
ワタクシは何かを云おうとした。
だが、其の後に言葉は続かなかった。
「でも・・・・・・何なんだい・・・・・・?」
ワタクシの云おうとした言葉は、千影ちゃんの其の言葉の前に、消えさった。
何なのか・・・?
・・・何?
ワタクシは、何を云おうとしたのだろう。
何か。
でも、何かって、何・・・?
何・・・だった・・・?
ワタクシは俯く。
そして、沈黙。
しかしワタクシは、一分も経たずに顔を上げた。
「ワタクシ、少し・・・・・・外に出ていますわね・・・」
目の前にいる千影ちゃんにそう云い、ワタクシは長椅子から立ち上がる。
千影ちゃんの返事は無い。
ただ、私の座って居た直ぐ横に腰を下ろした事が肯定だと思った。
手術中のランプはまだ点灯している。
無言で居る千影ちゃんよりも、視線を横に逸らした時に視界を支配した長く白い廊下が、怖かった。
千影ちゃんに背を向け、其の廊下を一歩踏み出す。
「春歌ちゃん・・・・・・・・・」
四歩目を踏み出した時、名前を呼ばれる。
「・・・・・・はい?」
一息。
「早く・・・・・・・・・戻ってきてやってくれ・・・」
「ええ、そのつもりですわ」
言葉の意味は深く訊かない。
訊かない方が良いと思ったのか、それとも本当に何も深い意味はなかったのか。
何故ですか?
そう問い掛けたかった。
でも、何を聞きたいのか分からない。
考える基準が違う。
何かある事を前提として考えている。
そして、大体の事が分かってきた。
もし何かが起きなければ、鞠絵ちゃんは・・・・・・
「ありがとう・・・・・・・・」
千影ちゃんの言葉と微笑った雰囲気を感じながら、止めていた歩を進める。
ワタクシの足音が、静か過ぎる廊下に静かに反響した。





これで・・・・・・最後。
私は短縮ダイヤルの8を押す。
ワタクシは病院の外に出ていた。
緩やかで涼しい風を受けながら、ワタクシは既に三人に電話を掛けた。
可憐ちゃんに掛けると、丁度花穂ちゃんと雛子ちゃんが彼女の家に居たので、そのまま伝えて貰った。
亞里亞ちゃんのお屋敷に電話を掛けると、じいやさんが出た。
白雪ちゃんも一緒に居たようで、二人共今現在此方に車で向かっているらしい。
咲耶ちゃんに衛ちゃんが電話をし終えた事は、外に出る途中に擦れ違った衛ちゃんに聞いた。
ワタクシは一息置き、通話ボタンを押した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コール音が十回鳴った。
十一回目が鳴り始めるまでの瞬間に、電話が通じた。
「もしもし・・・」
何時もと比べて元気のない、何時もよりも低い声。
もしかしたら、と思いながらもワタクシは一から伝えられるように頭の中を整理しながら話し出す。
「鈴凛ちゃん・・・良く、聞いてくださいね・・・」
「もう・・・知ってるよ。千影ちゃんから聞いたから」
ワタクシが云い掛けるや否や、彼女はそう云った。
確信が事実に変わる。
「・・・そう・・・・・・」
ただ頷く。
なら、何故・・・何故彼女は未だに此処に来ないのだろう。
確信の後の疑問はとても割り切れない。
ワタクシは其れを直ぐに言葉にする。
「鈴凛ちゃん。今、何処に居るのですか?」
一息。
鈴凛ちゃんの、何かを含んだ溜息が聞こえた。
「千影ちゃんの、家・・・」
先程の何か、が悲しみだと云うのが聲で分かった。
「え・・・?」
思わず二度目の問いを短く投げ掛けた。
「私だってさ、鞠絵ちゃんのところに行きたいよ。だけど・・・千影ちゃんが此処に居ろって・・・」
ワタクシには・・・千影ちゃんがそう云った理由が分からない。
鈴凛ちゃんの気持ちを制してまで、何があるのだろうか。
ワタクシには理解出来ない。
ただ、其れはマイナスに見解した意味ではない。
彼女はワタクシでは到底理解出来ない何かを知っている。
もしそうならば、鞠絵ちゃんにとってプラスであってほしい。
ワタクシは千影ちゃんを信じたいと思っている。
なら・・・
「如何してですか・・・?」
電話口の鈴凛ちゃんにではなく、千影ちゃんに対して問う。
如何して教えてくれない?
云ってほしい。
全て、プラスなのだと確信させてほしい。
十秒ほどの、長く感じられる間。
そして。
「・・・今・・・・・・ミカエルが千影ちゃんの家に居るんだ」
「ミカエル・・・?」
ミカエル。
鞠絵ちゃんやワタクシとずっと一緒にいた彼女は今日、河原で急に姿を消した。
もう居ない。
彼女はそう云った。
浮きあがる矛盾。
対になるのは今鈴凛ちゃんが云った言葉。
鞠絵ちゃんの言葉には、何か、別の意味があったのだろうか。
其の何かは、今のワタクシでは分からかった。
もしくは、別の何かなど、無かったのかもしれない。
「ミカエルは今・・・・・・スゴク弱ってる・・・・・・傷とかは、無いんだけど・・・」
鈴凛ちゃんはゆっくりと、言葉を紡いでいく。
其の聲は怯えていた。
何に?
其の聲の中に潜む不安は隠れる事なく、次に繋ぐ言葉にも存在した。
「鞠絵ちゃんは絶対に大丈夫だから・・・だから、ミカエルの傍に居ろ、って・・・」
其の言葉は、ミカエルが鞠絵ちゃんよりも悪い状況に置かれている事を示している。
そして、千影ちゃんが私の知りたい事を全て知っていると云う事も・・・
「千影ちゃんには・・・この事は誰にも云うなって、云われてた。でも・・・」
一息。
「私さ、やっぱり春歌ちゃんが好きだよ。嘘吐けない。だから、教えちゃったよ。だから・・・」
縋るように、分かって欲しいと云う、期待と希望を託される。
ワタクシは頷く。
彼女が目の前に居たなら、抱き締めてあげたい。
今にも泣き出しそうな聲で迷っている、彼女を。
隠していても分かる。
そう、彼女はそうだから。
「分かりました。誰にも伝えませんわ。勿論、鈴凛ちゃんが教えてくれたと云う事も」
うぅ、と電話越しに泪を堪える聲が聞こえる。
「・・・有難う」
「いえ・・・其方こそ、教えてくれて・・・有難う御座いました」
倖せ。
今までずっと感じていた其れが、突然愛しく思える。
永遠に続いてほしい。
だけど・・・其れは不可能な話。
千影ちゃんは云った。
永遠なんてモノは此の世に存在しない、と。
「其れでは・・・・・・もう、切りますわね?」
返事が聞けたら直ぐに切れるように、電源ボタンを親指で探す。
「あ・・・ま、待って!!」
急に出された大きな聲に、ワタクシは思わず携帯電話と耳の間に距離を置いた。
そして、再びゆっくりと耳に付ける。
「ど、どうしました?」
「あぅ・・・・・・その・・・鞠絵ちゃんは・・・・・・本当に大丈夫なの・・・?」
一瞬、間があった。
其れは彼女を不安にさせてしまった。
「だ、大丈夫なんだよね!?」
泣きそうな聲で・・・いや、泣いているのかもしれない・・・彼女は叫ぶ。
「・・・大丈夫。大丈夫ですわ。鞠絵ちゃんは必ず、元気になります」
ワタクシがそう云うと、鈴凛ちゃんの聲は明るくなる。
「そ、そうだよね。千影ちゃんが嘘云うなんて、絶対にないもんね。うん、有難う」
「・・・・・・うん。じゃあ、ね」
ワタクシは、電話を切った。
手が、震えている。
ブルブルとワタクシの意思と無関係に。
怖い。
恐い。
ただ、それだけ。
如何して直ぐに答えてあげられなかった?
一瞬、何を考えた?
其れが、怖い。
考えた何か、ではなく、何を考えたかが恐い。
ワタクシは・・・諦めている?
「断じて、違いますわ!!」
ワタクシは意識的に聲に出した。
丁度その時、病院の敷地内に黒い高級車が入ってくるのが見えた。
見慣れたナンバー。
直ぐ亞里亞ちゃんの家の其れだと分かった。
ワタクシは其れが止まるのと同時に駆け寄る。
車から一メートル程の距離まで近付くと、助手席のドアが開きじいやさんが姿を現した。
「こんにちは、春歌さま」
「あ、こんにちは」
ワタクシが挨拶を返すと、じいやさんは後部座席のドアを開いた。
其れを待っていたかのように、亞里亞ちゃんが抱きついてきた。
「春歌ちゃん!」
ワタクシは自分の名前を彼女を抱き返す。
もしかしたら、彼女は未だ状況が分かっていないのかもしれない。
其れは其れで、倖せなのだろうか・・・?
人見知りが激しい割に人懐っこい彼女の笑顔を見ていると、自分にも其れが移ってくる。
亞里亞ちゃんの銀色の髪を撫でながら、ふと顔を上げた。
「白雪ちゃん・・・」
其処には困ったような、そんな表情をした白雪ちゃんが居た。
多分、鞠絵ちゃんへの心配と、亞里亞ちゃんを心配させないようにする為の微笑み。
「春歌ちゃん・・・鞠絵ちゃんの様態は・・・如何ですの?」
「申し訳御座いません・・・ワタクシも詳細は分かりませんわ・・・」
云っていて、とても悔しい。
其れを伝える度に、親しい家族達の悲しみを見なければいけない。
自分に、腹が立つ。
こんな時、彼女なら・・・
「でも・・・」
そう云いながら、白雪ちゃんはそっと、ワタクシの腕の中で微笑んでいる亞里亞ちゃんの頭を撫でる。
亞里亞ちゃんの微笑みは、増した。
「車に乗っていた時、千影ちゃんが電話で大丈夫って云ってましたから・・・大丈夫ですの」
ああ、やっぱり・・・
千影ちゃんの言葉には安心感が得られる。
其れはワタクシだけが例外だったのではなかった。
最年長である咲耶ちゃんすら、彼女の言葉に頼る時もある。
逆に、咲耶ちゃんの言葉に千影ちゃんが頼る時もある。
其の輪の中に、ワタクシも入りたい。
入れる程の精神的な強さ・・・いや、違う。
信頼を得たい。
ワタクシは、鈴凛ちゃんの言葉を思い出す。
「そう・・・ですわ。千影ちゃんは・・・私たちには絶対に嘘を吐きませんわ」
ワタクシは・・・無力だ。





ワタクシ達はワタクシを先頭に、病院内へと入った。
来る途中に受付で、河原に置いたままにしてしまっていた買い物袋の存在を聞いた。
如何やら見つけた医師が一緒に持ってきていたらしい。
しかし今、そんな事は如何でも良い。
荷物は其のまま暫らく預かって貰う事にした。
そして、ワタクシ達は例の手術室の前の長椅子の前までやってきた。
「状況は変わりましたか?」
千影ちゃんと同様の平静さを唯一保っているじいやさんが、長椅子に座っている千影ちゃんに問う。
「いや・・・・・・全く・・・」
「まだ、さくねえも来ないし・・・」
千影ちゃんの隣に座っている衛ちゃんが呟く。
彼女は最も信頼・・・いや、そんな言葉では割り切れないような関係にある咲耶ちゃんを待っているようだ。
しかし、必ず来ると云う事を信じているのか、心細くも安定している。
長椅子の千影ちゃんの右隣、衛ちゃんとは反対の方向に、白雪ちゃんは亞里亞ちゃんを座らせた。
そして亞里亞ちゃんは千影ちゃんに抱き付く。
誰もが何も言葉を発さなくなりかけた其の時。
「ハイ、みんな!如何したの?元気ないね?」
亞里亞ちゃんすらも他の皆に影響されて俯きがちになっていた中に響く、場違いな明るい聲。
ワタクシは、驚愕した。
「鈴凛ちゃん・・・」
亞里亞ちゃんは聲を発した人物の名前を呟いた。
現れた鈴凛ちゃんの明るさは、今の状況下ではあまりに不謹慎だ。
そう思った。
そして、何故此処にいるのかと、疑問に思った。
先程の電話では此方にこれないと云っていたから。
千影ちゃんの顔を見てみると、彼女は目を細めていた。
どんな表情なのかは全く読む事が出来ない。
「鈴凛ちゃん・・・無理しなくても良いんですのよ・・・?」
「そう、だよ・・・鈴凛ちゃん」
若草学院へ鈴凛ちゃんと一緒に通っていた二人の言葉に、ワタクシはハッと気付く。
彼女の笑顔が痛く悲しく、人工的な物だと云う事に。
口だけで笑顔を作っていると云う事に。
そして、不謹慎と云う言葉を思い付いた自分の愚かさに。
自責しながら、ワタクシは思わず俯く。
「無理なんてしてないよ。鞠絵ちゃんは大丈夫なんでしょ?ホラ、なら全然安心じゃない?」
意識して聞いてみると、聲も何処か遠くから響いているように聞こえる。
逆に其れがワタクシ心に直接問い掛けているような気がする。
鞠絵ちゃんは、大丈夫。
そう、其れを信じていれば、不安になる必要なんてない筈。
そう。
そう、なんだ。
でも・・・理屈では分かっていても・・・不安は隠せない・・・
「あ、千影ちゃん。ちょっと・・・良いかな?」
鈴凛ちゃんはチョイッと指をニ、三度曲げながら千影ちゃんを呼ぶ。
「ああ・・・・・・構わないよ・・・」
鈴凛ちゃんに誘われ、千影ちゃんはゆっくりと席を立つ。
千影ちゃんの腰に抱きついていた亞里亞ちゃんは、彼女の右隣に白雪ちゃんが座る事で交代した。
二人が直ぐ近くの廊下の角を曲がろうとした其の時。
千影ちゃんは廊下の角で此処からは姿が見えない誰かに小さな聲で囁く。
鈴凛ちゃんは偶然其処で出逢った其の人にペコリと会釈をした。
そして、誰かと数秒言葉を交わし、二人は姿を消した。
其の誰か、は直ぐにワタクシ達の前に現れる。
「さくねえ!」
其の人の名前を、衛ちゃんが大きな聲で呼ぶ。
そして、彼女の胸に飛び込んだ。
「な、なぁに?全く、まもは甘えん坊ね・・・」
困った表情で、頬を仄かに紅く染めながら、咲耶ちゃんは衛ちゃんを抱き返す。
其の場の誰もが優しい雰囲気を感じた。
「今、何を話していたんですの?」
ふと、白雪ちゃんが咲耶ちゃんに問う。
「ん・・・ちょっと、ね」
「ボクにも教えて、くれないんだ・・・」
誤魔化す咲耶ちゃんに、衛ちゃんがボソッと云った。
咲耶ちゃんの表情に焦りが見えた。
「ち、違うのよ。隠すつもりなんじゃなくて、云う必要がないって思っただけよ」
衛ちゃんの、咲耶ちゃんの背中に回された腕の抱き締める力が少しだけ強まったように見えた。
「そう・・・別に良いんだ。さくねえがそう思ったんなら・・・」
咲耶ちゃんは明らかに困っていた。
数秒間の沈黙。
寝息が聞こえたので、長椅子に目をやると、亞里亞ちゃんが白雪ちゃんの腕の中で眠っていた。
ワタクシ同様、咲耶ちゃんも其れを見ている。
そして、彼女はふぅ、と息を吐きながら目を閉じる。
「分かったわ。云っても云わなくても、変わりないものね・・・」
白雪ちゃんと衛ちゃんの表情が少しだけ、ほんの少しだけ明るくなった。
「千影に、こう云われたのよ。家族全員が此処に集まるまで、絶対に此処に居させるように、って」
「そう、ですか・・・」
ワタクシは呟く。
何となく、だった。
だけど、皆言葉が見当たらないようだったので、反応として、ちょうど良かったのかもしれない。
衛ちゃんは先程まで自分が座って居た場所に、咲耶ちゃんの手を引いて座る。
咲耶ちゃんが座ったのは、千影ちゃんの座って居た場所、亞里亞ちゃんの左隣だ。
ワタクシも、白雪ちゃんの右隣へ腰を下ろした。
「気になったのですが・・・」
ずっと無言だったじいやさんが呟くように云う。
「鞠絵さまは突然お倒れになられたのですよね?」
ワタクシは頷く。
「何故直ぐに手術室へと運ばれたのでしょうか?」
「あっ・・・」
口に手を当てて短く聲を上げたのは咲耶ちゃんだ。
そして、全員が気付く。
「そう、でしたわ・・・鞠絵ちゃんの病気は・・・」
「先天的なもので、手術のしようが無い物・・・じゃなかったかしら」
ワタクシの言葉に白雪ちゃんが続けた。
「ひばりちゃんがそうだったように、無理さえしなければ治る病気だった筈」
「じゃあ、別の・・・?」
咲耶ちゃんの言葉に衛ちゃんが問う。
「ならばまだ、良い方なのではないでしょうか?」
そう云ったのはじいやさんだ。
じいやさんはワタクシ達とは家族でもない存在。
其れでも、亞里亞ちゃんの家族であるワタクシ達と一緒に真剣に考えてくれる。
だから、皆信頼している。
家族以外にはあまり興味を持たない千影ちゃんすらも、そうだ。
そして彼女は続ける。
「安静にしている以外に治す方法すら無い病気よりも、手術して治る病気の方が・・・」
確かに・・・
思わず、頷きかけた時だ。
白雪ちゃんが口を開いた。
「でも・・・それでも・・・前からあった病気が治っていない事には変わりないですの・・・」
沈黙。
「そうであったとしても、今の状況では、そう考えたほうが良いんじゃないかしら」
咲耶ちゃんは言葉を続ける。
「もし、新しい病気が発病したとしていて、其れが倒れた原因だとすれば、よ・・・」
「氷は・・・溶けたら、水です」
突然の聲に、皆の視線が一斉に白雪ちゃんの方へ向けられた。
正確には、彼女の腕の中で眠っていた筈の、亞里亞ちゃんに。
「氷はコロンコロンって、転がるの・・・でも氷は、溶けちゃったら、転がりません」
全員、言葉を失う。
各々で、亞里亞ちゃんの言葉の意味を考えているのかもしれない。
「亞里亞ちゃん・・・」
白雪ちゃんが亞里亞ちゃんの名前を呟いた。
ずっと頭を撫でていた筈の手が、止まっている。
「でも、氷は無くならないの」
亞里亞ちゃんはそう続け、そして何事も無かったかのように、白雪ちゃんにギュッと抱き付き直した。
「氷・・・?水・・・?」
ワタクシは呟いた。
「私・・・」
顎に手をあてながら、じいやさんが言葉を紡ぐ。
「以前、亞里亞さまが風邪をお引きになられた時、風邪を氷や水に例えた事がありました」
「あ、姫も其のお話、聞いていました」
白雪ちゃんはじいやさんと目を合わせ、コクンと頷いた。
「確か、寒い格好をしていると亞里亞ちゃんの水が凍って風邪を引いてしまうんですのよ、って」
「じゃあ、亞里亞ちゃんの云ってた氷って、病気の事?」
衛ちゃんが誰にと云う訳でもなく訊く。
「そしたら、コロンコロン転がるって・・・如何云う意味?」
咲耶ちゃんが首を傾げた。
一分ほど、皆で考え込む。
しかし、誰も何も思いつかなかったのか、其のまま黙り込んでしまった。
「其れはそうと・・・春歌ちゃんの其れって癖だよね」
「え?」
膝の上で組んでいた手を指差され、視線を移す。
全員の視線が同時に移動して気恥ずかしかった。
「人差し指、こうやって重ねてくの」
そう云いながら、ワタクシの真似をして手を組み、両手の人差し指を交互にと重ね変えた。
「え、ええ・・・考える時にしてしまうよう・・・ですわ」
ワタクシの言葉を聞き、衛ちゃんは何故か嬉しそうにしている。
しかし、病院内と云う事を思い出したのか、咲耶ちゃんの冷たい視線に気付いたのか、表情を戻した。
「さくねえと似てる。其の癖」
其の後、恐らくワタクシしか聞こえなかったと思うが、彼女はこう呟いた。
「良いな・・・」
「其れよりも、水。氷。転がる。水は割れないけど、氷にすれば割れるわよね」
自分の癖が話題に出たのが恥ずかしかったのか、咲耶ちゃんは話を戻そうとする。
同時に亞里亞ちゃんの言葉の答えを出した。
「逆だと思いますの。溶けたから、割れないんですの。転がらないんですの」
白雪ちゃんはそう云った。
余計に分かり難くなったような気がした。
「分からないわね」
咲耶ちゃんは溜息を吐いた。
「でも・・・」
「亞里亞さまはただ寝惚けていただけ、と云う事にしましょう」
白雪ちゃんが小さく不服そうな聲を出しかけた。
しかし、其れが皆に聞こえるよりも先にじいやさんがそう結論付けてしまった。
まあ、事実意味があったのかは分からない。
だが、其れでも気になった。
亞里亞ちゃんの言葉は分かり難く、後で分かる時が多い。
そして其れは確かに正しいのだ。
根本的だが、抽象的で、絶対的で、理想的だ。
白雪ちゃんの納得がいかないような聲も同意出来る。
しかし、皆が意味の追求を諦めてしまったので、其の話題は其処で終わった。
もっと、亞里亞ちゃんの言葉と鞠絵ちゃんの状況に関連性を感じれば良かった。
例え解決策を思い付かなかったとしても。
・・・結局のところ、少しの間、気を紛らわせる事が出来ただけだった。
確かに根本は決して鞠絵ちゃんの病気の話から離れてはいない。
其れでも、考えるだけでも、不安を感じ続けながら手術が終わるのを待ち続けるのよりは良いと思った。
だから、話が終わった途端に、再び不安が浮きあがってきた。
鞠絵ちゃん・・・また元気な姿を・・・見せてくださいね・・・
ワタクシは両手を組み、祈った。





突然。
携帯電話の着信メロディが流れた。
曲名は知らないが、聴き覚えのある曲。
「あっ、ボクだ」
衛ちゃんはズボンのポケットから携帯電話を取り出した。
ああ、衛ちゃんが走る時に良く口ずさんでいるあの曲か。
ワタクシは聲に出さずに納得をした。
「病院内ではマナーモードにしておきなさい」
そう云いながら、咲耶ちゃんは衛ちゃんの肩を抱き寄せる。
「うん・・・」
はにかみながら、衛ちゃんは電話に出た。
「もしもし・・・・・・うん・・・・・・ううん、分からない・・・」
衛ちゃんの受け答えだけでは誰と話しているかは分からない。
でも、携帯電話の音漏れで聞こえる聲は、良く知っている物だった。
「鈴凛ちゃん達・・・遅いですわね・・・」
ふと思った事を呟いてみると、白雪ちゃんが頷いた。
「可憐ちゃん達もまだ来ないですの・・・如何したのかしら?」
ふと、衛ちゃんを見た。
「・・・ところで・・・病院内で携帯電話を使うと医療器具がおかしくなってしまうのでは・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・あ〜・・・」
ワタクシの言葉に咲耶ちゃんは一瞬考え、何かを思い出したようだ。
「衛の携帯電話って、鈴凛ちゃんの発明品でしょ?何か大丈夫なんだって云ってたわ」
何か、が大切なような気がしなくも無いが、ワタクシは頷き納得した。
白雪ちゃんが衛ちゃんの電話の相手が気になったのか、衛ちゃんの携帯電話に耳を澄ました。
「咲耶ちゃん、まもちゃんは誰とお電話中ですの?」
質問に答える為、そして其れを口実にするのか、咲耶ちゃんは衛ちゃんの頬を自分の其れに押し付ける。
「ん、花穂ちゃんっぽいわ」
咲耶ちゃんは衛ちゃんの右頬に手を回し、ふにふにと解すように揉んだ。
ふぅ、と鼻を鳴らした息を吐きながら、衛ちゃんは目を固く閉じて少し身悶えた。
少しだが、頬が紅く染まっている。
「・・・うん・・・じゃあ、今から行くね・・・それじゃ」
そして、衛ちゃんは電話を終えた。
其れはまるでタイミングを計ったかのように、咲耶ちゃんが衛ちゃんの腰に手を回したのと同時だった。
「さ、さくねえっ!」
顔を真っ赤にし、衛ちゃんは咲耶ちゃんの躰をポカポカと叩く。
咲耶ちゃんは頬を揉んでいた手は其のままに、腰に回した手で彼女の躰を抱き締めた。
「はいはい、ごめんなさいね、甘えん坊の衛ちゃん」
そう云いながら、ポンポンと背中を軽く叩く。
まるで赤ん坊をあやす母親のように。
「もぅ・・・」
衛ちゃんも満更でもない様子で、咲耶ちゃんの腕の中で急に大人しくなった。
「其れで・・・どんな電話だったの、まもちゃん?」
白雪ちゃんの聲に衛ちゃんはハッとなり、咲耶ちゃんの腕の中から逃れた。
咲耶ちゃんは不満そうな聲を漏らした。
「え、えっとね・・・っと、そうだ!ちょっと花穂ちゃん達を迎えに云ってくるね!」
急いだように立ち上がり、衛ちゃんは走り去ろうとした。
が、腕を掴まれ、其れを制止させられる。
「待ちなさい」
そう云ったのは咲耶ちゃんだった。
「な、何・・・?さくねえ・・・」
咲耶ちゃんの表情は此方からは見えないが、衛ちゃんは其れに怯えを見せていた。
自分腕を掴んでいる手を解くわけでもなく、ただ蛇に睨まれた蛙のように固まっている。
「私も行くわ」
咲耶ちゃんは静かに云った。
そして、微笑み掴んでいた衛ちゃんの腕を離す。
表情が見えなくても、雰囲気だけで其れは分かった。
「少し、寄り道していきましょう?咽喉が渇いちゃったら、何か飲みたいの」
「あ、う、うん。じゃあ、一緒に行こう」
衛ちゃんは胸を撫で下ろす。
其れは安心から来たと云う事が明らかに分かった。
「すぐに戻ってきてくださいませね」
ワタクシがそう云うと、咲耶ちゃんはニッコリと微笑み、頷いた。
「行きましょう、まも」
衛ちゃんの腕に自分の腕を組ませ、抱きつくように衛ちゃんの耳元でそう云った。
「うん」
衛ちゃんは顔を真っ赤にし、疲れているようだけど、嬉しそうに頷く。
そして、二人は廊下の曲がり角に姿を消した。
其れを見守り終えたとほぼ同時に、じいやさんが長椅子から立ち上がった。
「私はお屋敷に戻って、お食事の準備をしなければなりませんので、失礼しますね」
「ええ、よろしくお願いしますね」
白雪ちゃんはペコリと頭を下げる。
「それでは・・・」
じいやさんも咲耶ちゃん達と同様に、この廊下から姿を消した。
溜息。
白雪ちゃんの物だった。
同時に、起きているのが自分と白雪ちゃんのみになっている事に気付く。
「じいやさんって、尊敬しちゃいますの」
白雪ちゃんが唐突にそう云った。
「ええ、そうですわね」
思っている通りの答えを素直に返す。
一瞬考え、そして続けた。
「この後、ワタクシ達の家族だけになれるように、この場を去っていってくださったのですもの」
少なくともワタクシには、そう思えた。
同じように思っていたらしく、白雪ちゃんは頷いた。
「鞠絵ちゃんに似てますの」
「・・・え?」
意味の追求、ではなく、鞠絵ちゃんと云う単語に反応して私は聞き返す。
「じいやさんも、春歌ちゃんも」
「・・・有難う御座います・・・」
ワタクシは此の位置なのかもしれない。
倖せが。
望む場所が。
じいやさんと同じ。
鞠絵ちゃんと、同じ。
咲耶ちゃんとは違う。
千影ちゃんとも違う。
此の場所が。
「白雪ちゃんこそ・・・似てますよ」
「・・・?誰に、ですの?」
微笑う。
「お母様に」
一瞬間があった。
「春歌ちゃんの?」
「いえ・・・皆の、ですわ」
云い直して、何処かおかしい事に気付く。
居ない何かに、似ている、と云った事に。
ただ其れは、今は如何でも良い事だった。
おそらく・・・
「ワタクシの不安を軽くしてくれます。白雪ちゃんは」
「そ、そう・・・でしたの?自分では良く分かりません」
白雪ちゃんは頬を紅くさせながら、躰をくねらせた。
ワタクシは続ける。
「本来なら・・・ワタクシ一人だけなら、絶対的に不安ばかりを抱えていたと思いますわ」
昔は思わなかった。
何も感じなかった。
姉妹がいるのに、逢えないと云う事に。
「春歌ちゃんは一人じゃないですの」
そう云った白雪ちゃんの瞳はとても優しかった。
まるで、本当に母親のような。
そして、鞠絵ちゃんの其れにも、似ていた。
「そう云うつもりで云ったのではありませんでしたが・・・確かに・・・そうですわね」
白雪ちゃんの膝枕で眠っている亞里亞ちゃんが少し起き、白雪ちゃんの腰を抱き締め直した。
ワタクシは其の頭を撫でる。
亞里亞ちゃんが微笑んだような、気がした。
「でも・・・白雪ちゃんから見た、亞里亞ちゃんと同じ位置に居る人は・・・」
ワタクシは撫でた自分の手を見つめる。
「ワタクシの場合、鞠絵ちゃんでしかありえないのです」
「その場合、私には衛が其処の位置に居る訳ね」
視界を移動させれば、何時の間にか咲耶ちゃんが居た。
そして、勿論のように衛ちゃん、そして花穂ちゃんと可憐ちゃん、雛子ちゃんも。
彼女達の表情は最初のワタクシ達程は暗くなかった。
衛ちゃんと咲耶ちゃんが安心するような説明をしたのだろう。
「あのねあのね、ヒナ、鞠絵ちゃんにおはよーって、此れ渡してあげるのー!」
雛子ちゃんはワタクシと白雪ちゃんの元へ駆け寄り、クローバーの花冠を見せてきた。
編み方に癖があり、時々解けかけていたが、其れは花穂ちゃんの結び方だ。
教えてもらいながら一緒に作っていた時に電話が来たのだろう。
雛子ちゃんの頭には綺麗に編まれている、同じ冠があった。
「ええ、そうしてあげてください」
亞里亞ちゃんと同じなのか、如何やら状況を理解していないようだ。
そっと、彼女の頭に可憐ちゃんが手を置き、撫でる。
丁度其の時。
「おや・・・・・全員揃ったようだね・・・」
千影ちゃんの聲が聞こえ、全員がそちらを振り向く。
「お早う御座います・・・千影ちゃん」
同時に亞里亞ちゃんが目を覚ました。
「ああ・・・・・・お早う・・・・・・」
千影ちゃんは彼女に近付き、髪を優しく撫でる。
千影ちゃんの後ろを鈴凛ちゃんが常についていた。
やはり人工的な其れで。
機械的で。
優しさの微笑みで、千影ちゃんは亞里亞ちゃんの微笑みに答える。
鈴凛ちゃんに其れは出来ない。
だから、かもしれない。
鈴凛ちゃんは亞里亞ちゃんや雛子ちゃん等の幼い妹達と仲が良い。
だから、千影ちゃんは彼女の代わりに笑う事をしたのだろうか。
「さて・・・」
何かを始める口調で千影ちゃんは全員を見回す。
そして微笑む。
悲しく。
寂しそうに。
おそらくは、彼女が居ない事に対して。
「私について来てくれ・・・・・・」




思わずワタクシは自分の目を疑った。
彼女はそう云い終えると同時に手術室の扉を開け放ったのだ。
ワタクシには真似出来ない。
そして、何をするのか分からない。
「千影!」
怒ったように名前を呼ぶ咲耶ちゃんに、彼女は目を細める。
途端、咲耶ちゃんは何も云わなくなった。
ワタクシにも分かった。
心配するな、と云う視線。
そして、千影ちゃんは歩を進める。
其れに何の躊躇いもなく、亞里亞ちゃんがついていった。
追いかけるように白雪ちゃん、続いて咲耶ちゃん、衛ちゃん、花穂ちゃん、可憐ちゃんの順番に入っていく。
ワタクシは其の後に続いた。
看護婦さんもお医者様も、入った其処には居ない。
医療器具が幾つものアルミ製の台に乗せられており、其れが何セットもあった。
目の前には更に奥に進む為の扉。
何故か見た事があった。
似たような場所を。
もう一つの扉は、其の右下にあるくぼみに爪先を入れると開いた。
そして初めて二人の看護婦さんとお医者様の姿があった。
もちろん、鞠絵ちゃんも。
彼女の名前を呼びたくなる衝動を抑え、千影ちゃんの思考を読み取ろうとする。
「ご機嫌は如何だい・・・・・・鞠絵ちゃん・・・」
彼女の周りにいたお医者様が、如何して入ってきたのかを千影ちゃんに聞いてきた。
千影ちゃんは其れを無視し、鞠絵ちゃんに近付く。
一瞬、医師に見下しの表情をしたのが見えた。
「ごめんなさい。此の娘が如何しても、しなければならない事があるらしいので・・・」
咲耶ちゃんは千影ちゃんの代わりに答える。
ワタクシは手術室内を見回す。
驚きからか、其れとも微かに感じる後ろめたさからか、黙り込んでしまったお医者様。
千影ちゃんについていく亞里亞ちゃんを心配そうに見守る白雪ちゃん。
急に言葉を発さなくなり、一番後ろで見ているだけになった鈴凛ちゃん。
咲耶ちゃんは衛ちゃんを抱き寄せるような形で、衛ちゃんは咲耶ちゃんを抱き締めているようだ。
前に走り出してしまいそうな雛子ちゃんを大人しくさせている可憐ちゃんと花穂ちゃん。
そして、ワタクシは目を閉じている鞠絵ちゃんで視線を止めた。
何故か其処に何か物理的な物で手術を行った形跡は全くなかった。
鞠絵ちゃんには酸素の補給と点滴だけが施されているだけで、躰にメスを入れた痕跡も、何も、無い。
其の鞠絵ちゃんの額に千影ちゃんが手を置き、酸素補給気を外した。
真似をしたのか、自分の意思なのか、亞里亞ちゃんは鞠絵ちゃんの手を握る。
「大変だね・・・・・・君も・・・」
目を閉じ、フッと微笑む。
一体、誰に向けた物なのだろうか。
「春歌ちゃん・・・・・・」
名前を呼ばれ、ハッとすると、千影ちゃんが此方を見つめていた。
一瞬だけ、全く音の聞こえない感覚に陥ってしまっていたようだ。
「何でしょうか?」
鞠絵ちゃんを見つめたまま、ワタクシは千影ちゃんに近付いた。
「名前を・・・・・・呼んでやってくれ・・・・・・・」
千影ちゃんは鞠絵ちゃんの額に触れていた手を、亞里亞ちゃんの頭に移動させた。
亞里亞ちゃんは目を細める。
「誰の・・・ですか?」
ワタクシが聞き返すと、千影ちゃんは試すような表情を見せた。
「・・・分かるだろう・・・・・・?」
反射的に、頷いている自分が居た。
分かっている。
分かっていた。
するべき事。
したいと思っていた事。
ただ、其れが無意味になるのが恐かった。
だから、躊躇っていた。
勇気さえ出せれば、千影ちゃんのように行動したかった。
扉を開き、たった数十メートルも離れて居ない彼女に近付きたかった。
抱き締めたかった。
そして・・・名前を、呼びたかった。
「ええ・・・」
ワタクシは小さくだが、千影ちゃんに肯定の返事をし、鞠絵ちゃんの顔の横に立った。
白い肌。
端整な顔
今此処にある、ワタクシの好きな物。
透き通った聲。
優しい眼差し。
今此処にはない、ワタクシの求めている物。
ワタクシは鞠絵ちゃんの上半身を抱き締めた。
名前を呼ぶ。
其れがワタクシのする事、しなければならない事、したい事。
だが。
聲が出ない。
何故だろう。
今更躊躇う事など無いのに。
いや、違う。
此れは躊躇いではない。
恐怖でもない。
何時の間にか、泪が頬を伝っていた。
視界が歪む。
だが、目を閉じる事はしなかった。
そう。
名前を呼ぶ。
呼ぶだけで果たす事が出来るのだから。
ワタクシには可能なのだから。
「鞠絵ちゃん・・・!」
鞠絵ちゃんの手が、トサッとベッドのシーツを叩いた。
ワタクシは周りを見回す。
先程のは亞里亞ちゃんが握っていた手を離したかららしい。
同様に、千影ちゃんも亞里亞ちゃんの頭を撫でていた手を下ろしていた。
「・・・ありがとう・・・」
千影ちゃんが、そう云った。
聲を出さずに、口の動きだけで。
亞里亞ちゃんはゆっくりと白雪ちゃんの元へ歩み寄ると、彼女をそっと抱き締めた。
勿論、白雪ちゃんは抱き締め返す。
数秒しないで、亞里亞ちゃんの寝息が聞こえた。
立ったまま眠れるなんて、相変わらず器用な娘だ。
そう思った時、すぐ近くで布の擦れる音がし、ワタクシは鞠絵ちゃんに視線を戻す。
「鞠絵ちゃん・・・鞠絵ちゃん・・・!」
何度も繰り返して呼ぶ。
数秒後。
鞠絵ちゃんの目が、そっと開いた。
「鞠絵ちゃん!」
ワタクシは彼女の躰に負荷が掛からないように、其れでも強く、抱き締める。
泪が止まらない。
もう目を開く事すら無くなってしまうのかとも考えてしまった自分を捨てたい。
彼女は今此処に居る。
眼差しも、聲も、全てがある。
戻ってきたのではない。
初めから失ってなんかいない。
「春歌ちゃん・・・」
鞠絵ちゃんの聲は、ワタクシの最も愛する物。
其れを聞いた瞬間、何かが抵抗を失くした。
「うぇ・・・えぇん・・・」
感極まり、嗚咽を漏らし始めてしまった。
見っとも無い。
恥ずかしい。
其れでも、嬉しい。
「良かった・・・・・・本当に・・・良かったぁ・・・」
「・・・皆・・・・・・私達は帰るよ・・・」
千影ちゃんはそう云い、手術室から出ていった。
衛ちゃんと咲耶ちゃん以外が、後に続く。
「彼女達、二人っきりにしてあげてくれませんか?」
咲耶ちゃんはお医者様にそう云った。
お医者様は鞠絵ちゃんの意識が戻った事に驚愕しているようだ。
だが、改めて鞠絵ちゃんを見、頷いた。
もう大丈夫のようだから、五分間だけ二人にしてくれるらしい。
其の後改めて検査をし直し、具合が良いようであれば即退院もありえるとも云っていた。
そして、此の部屋にはワタクシと鞠絵ちゃん以外に誰も居なくなった。





・・・何分、無言で抱き合っていただろう。
既に五分以上経っているような間隔すらする。
先程までの静寂とは違い、現在の其れはとても心地良い物だ。
ふと、鞠絵ちゃんが口を開いた。
「ねえ、春歌ちゃん、聞いてください」
鞠絵ちゃんはワタクシの頭を撫でた。
ワタクシは頷く。
「此れはあの時、云いたかった言葉です・・・」
人間が倖せを掴む為に生きているとしたら。
人間が何かを求める為に生きているとしたら。
ワタクシは、今。
「・・・貴女を愛しています、春歌ちゃん」
死んでも良い。





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