IMITATION CRIME






風が吹いた。

少し暖かくて、でも何処か寒くて。

花粉を運んでくる匂いが頬をなぞって行った。

「春だなぁ・・・」

ソファの背凭れに頬杖を突きながら、私は思わず呟いた。

すると、口に出してみた事で、その実感が沸々と湧いてきた。

そんな私の横で、千影が溜息を吐いた。

独り言を、構って欲しい心の表れだと取り、呆れている様だった。

「そうだね・・・」

それでも、面倒臭そうにそう吐き出した。

まあ、正直・・・構って欲しかった。

退屈だから、と云うだけではなく、休みだからこそ千影と沢山話をしたかった。

しかし、それだけでもなかった。

どうせならとことん甘えてしまいたいと考え、私は千影の膝の上にうつ伏せで寝転んだ。

「千影。外の櫻、もう見た?」

「ああ・・・・・・先刻自室で観たよ・・・」

千影は読んでいる書物から目も離さずに、答えた。

「あ、そ・・・」

テーブルの上の小瓶に入っている飴を一つ口に含んだ。

千影は多分、直接目にした訳ではないのだろう。

そう思いながら、私は少し視線を上げ、裏表紙の端に少し隠れた千影の表情を窺った。

何だか、やり辛いような少し困った様子で、雑誌に意識を逃がしている様だった。

それが照れているんだと理解するのに一秒も掛からない。

他人だったなら、多分一生掛かってもただの困惑としか思わないだろう。

私はそれを自分が分かる事が嬉しくてしかたが無い。

その時、ふと千影が書物から視線を外し、此方を見てきた。

「あ・・・」

目が合うと、千影は焦ったように視線を戻した。

多分、微笑ってたんだろうな、私。

照れちゃって・・・可愛い♪

「そうだ!」

私はうつ伏せのまま上半身を起こし、相槌を打った。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

今度は何だ、と云う訝しげな視線で見てくる千影の首に、私は抱きついた。

千影は一瞬ビクッと跳ね、躰を私の居ない方向へ引いた。

別に何もしないんだけどなぁ・・・

そう思いながらも、その反応が面白くて笑いそうになった。

「お花見、行かない?」

笑いを堪えながら、提案した。

「・・・・・・それはまた・・・・・・突拍子も無い話だね・・・」

千影はそれでも安心したような微笑みを見せた。

「仕方が無いな・・・・・・休日は君に付き合うよ・・・」

本当に仕方なさそうに、でも了承してくれた事が嬉しくて、私はそのまま千影をギュッと抱き締めた。

「ちょっ・・・・・・咲耶くん・・・」

千影は私の額を押し返し、顔が近くに位置しないように抵抗してきた。

「如何して?嫌?」

ちょっと縁起を入れて、泪なんか浮かべちゃったりして。

すると、千影はまんまと引っ掛かった。

「・・・・・・嫌では・・・ないけど・・・・・・」

眼鏡のレンズ越しに気まずそうに視線を泳がせ、頬を人差し指で軽く掻いた。

「・・・止めてくれ・・・・・・恥ずかしいんだ・・・」

千影はタガが外れたかのように突然顔を紅く染めた。

それは久し振りに聞いた、千影の弱音だった。

まあ、原因は自分なんだけれども。

千影の感情に変化を加えるのは、何故かとても有意義な事だと思った。

だけど・・・それが嫌な時もある。

私が手を離さないでいると、千影は困った顔を変えずに、微笑った。

「分かった・・・分かったよ・・・・・・君と居ると楽しいよ・・・・・・是非一緒に花見に行かせてくれ・・・」

溜息混じりに、子供を諭すように云い、そっと私の躰を押し離した。

あ・・・嘘だ・・・

先刻思った嫌な事になったのは、直ぐに分かった。





まるで子供のような姉に手を焼きながら、結局喜んでる自分が何だか無性に悔しい。

だが、同時に彼女が何故私に構うのかが疑問に思えてしまう。

今更、と云えば今更だ。

幼い頃から一緒に居た上に、彼女がお節介焼きなのは知っている。

しかし、逆にその好意からの行動が綺麗過ぎて表面だけの嘘のように見えてしまう。

・・・彼女の気持ちが家族へのそれ以外にも在ると認識していないと云えば嘘になるが・・・

そして、私は今、その表面だけの嘘で場を逃げた。

それを如何思ったのか、咲耶くんは眉を寄せた。

それは斜面に積まれた小さな城のように、不安定で何時崩れても可笑しくないような物だった。

「ありがとう。そう云ってくれる様に誘導したつもり・・・だったんだけど、ね」

彼女は何故か悲しそうに微笑んだ。

私はそれが不可解で眉を顰めた。

手にしていた書物を閉じ、全く動かなくとも手の届く、ソファの直ぐ傍のテーブルに置いた。

栞を挟むのを忘れた事は、この際如何でも良い事だった。

「でも・・・でも、それじゃ・・・・・・嬉しくない・・・」

上辺だけの嘘だと云うのは明白だっただろう。

彼女は私に何を理想し、期待していたのだろうか・・・?

また何時もの、私を困らせる為のワガママか・・・?

ハッ、と云う自嘲じみた息が漏れた。

そして、私は眼鏡を外して私は初めて咲耶くんに向き合った。

しかし目の前の彼女の表情からは、何時もの余裕と好奇心は見えなかった。

疑問と、理解しがたい彼女の言葉に、私は一瞬だけ躊躇い、それでも訊く事にした。

「君は何を・・・」

しかし、驚きに言葉は遮られ、その先は掻き消された。





「私が望むのは・・・分かるでしょう?」

私は千影を押し倒し、負担の掛からないようにその上に覆い被さり、そう云った。

千影の驚く表情はやはり可愛く、血が繋がっている事が誇らしく思える。

右手だけで千影の後頭部で髪を纏めているヘアピンとゴムを外す。

絵の具が水に溶けるように、綺麗にソファの薄空色に紫が広がった。

「・・・君の望んでいる事なんて・・・・・・分からないね」

吐き出すように云った後、千影の表情は嫌悪する物に変わった。

その言葉は、雷に打たれたように私の中に何かを残し、心身を震わせた。

分かりたくない、とでも云われたように、拒絶されたと云う感覚が大きかった。

「そっか・・・・・・分からない・・・か」

私は自分でも分かる程震える聲を、出来る限り意識して抑えながら云った。

自分の信じていた愛情と云う物を認めて貰えなかった。

そして、少々の諦め。

自分自身の見解で自分を正義として見る事は容易だったのかもしれない。

本当にそれが千影の瞳に異なって映ったのかが知りたく思った。

「千影・・・」

訊こうと思った。

でも、聲が出なかった。

もしも本当に私の求めている愛情が全く存在していなかったら、と思うのが怖かった。

それが現実になるのが怖かった。

だから、そっと千影の上から退き、何の言葉も期待せずに、逃げる事を選んだ。

「ごめんね」

そう、自分にだけ聞こえていれば良い、と云い聞かせる為に呟いた。

千影は何も言葉を返してくれない。

ただ、先程まで私の体重の余韻で軽く沈んでいる、細かい皺の寄ったソファの生地を見つめていた。

「ごめん・・・」

もう一度確認するように呟き、私はリビングを早足で後にした。

・・・自分が真っ直ぐに信じていた愛が分からなくなった。





「ごめん・・・か・・・」

私は微笑っていた。

喉の奥を震わせ、ククッと自嘲と嘲笑を織り交ぜて、外界への情報を発する。

彼女はもしかしたら、最期に残した二言は私に聞かれたくは無かったのかもしれない。

それにしても、如何してだろうね・・・自分から躰を離したくせに、今はそれに触れたいと思ってしまう。

・・・彼女の気持ちに気付いていないつもりは無い。

だが・・・・・・何故彼女がそれを望むのかは理解出来ない。

私は現在が最も倖せだと・・・思う。

だが、彼女はそうではないのだろうか?

私の前で笑っているのは幸福だからなのではないのだろうか?

幸福だから笑っているのではないのだろうか・・・?

わたしは、私にとって彼女が如何云う存在なのか、未だに把握出来ていない。

彼女は・・・私を自分がどのような存在なのか理解しているのだろうか?

それなら、やはり私が間違っているのか・・・?

『愛情』・・・ね・・・

すれ違いと云う物は、価値観の違いが生むのだろうか?

グラスの中のワインを、あと半分しかないのか、まだ半分もあるのかが分かれるように・・・

感情は自分自身の手を離れないが故に全体図を見通す事が出来ないのかもしれない。

私は、大きく息を吸い込み、そして吐き出した。

・・・感情と感情の狭間に生まれた物は・・・誰の瞳に映るのだろうか・・・

咲耶くんが開けたままにして行った窓を、私は外の景色を覗くと同時に閉めた。

君は・・・・・今の状態が満足ではないのかい・・・?

床に、何時の間にか落ちていた本を拾い上げ、栞も挟まずに閉じる。

髪を止めていた物が二つとも無くなっていたが、気には留めなかった。

ふと外を見てみれば、黒い雲の下で櫻の薄桃色が風に散っていた。





何やってるんだろう、私・・・

もしかしたら、嫌われた・・・かも・・・

私は自室の、扉の前に立って居た。

走ってきた所為で息が切れていた。

しかし、それとは無関係に足も震えていた。

やがて私は自分を支える事を拒否し、扉に背を凭れたまましゃがみ込んだ。

そして溜息。

・・・愛って何だろう?

口の中にまだ残っていた飴を舌の上で転がす。

今の私は海の上を漂う塵のように、ただ何かを探し彷徨っていた。

探している物は、愛。

少なくとも、テレビドラマ等で見る愛は違うと思う。

あんな、綺麗過ぎて嘘のように見える恋愛は、多分存在しない。

だけど・・・それでも私は羨ましいと思ってしまう。

磨かれた氷の表面のように、脆くても美しい愛を・・・

制作者の価値観によって異なると思うが、私が羨ましいと思うのは女性の書いたシナリオだった。

女性の脚本家は、よく女性の視点で書いている。

逆に、男性の脚本家は男性の視点で書いている。

自分が女だからだと思うけど、私は男性の書いたシナリオはいまいち感情移入を得ない。

女性の心を得る為に、男性だけが四苦八苦して、そして最後は振り向いてもらえてハッピーエンド。

正直、そんな恋愛は嫌だ。

切っ掛けがあって、それでお互いで愛を求め合って、与え合って、それで倖せになりたい。

自分一人だけ、と云う意識を消したい。

そう思うのは・・・変・・・なのかな?

手を開けば、千影の甘い髪の香りのするヘアビンとゴムが存在した。

それ等を握り締めながら徐に立ち上がり、ベッドの傍までおぼつく足取りで寄った。

・・・私の恋愛は・・・磨いてる途中で溶けちゃったかな・・・

先刻自分の考えた比喩を、そのまま自分への嘲りとして用いた。

私は躰を軽く前に倒した。

・・・・・・今私は何が出来るんだろう。

顔面からベッドに倒れ込むと、スプリングがギシギシと二度軋んだ。

そのままでは息が出来ないので、首を横に傾けた。

白い壁のみが視界に映っていた。

・・・もしかしたら、ただ私は待っているだけなのかもしれない。

私の嫌いなドラマのような嘘でも良い恋愛のヒロインのように。

・・・私って・・・・・・嫌な女の子かも・・・

自分の信じている愛以外を否定ばかりしている自分に気付き、私は小さくそう思った。

しかし、その小さな心の呟きは、ダムに穴を開けるかのように、心のそれを大きく崩した。





私は咲耶くんの部屋の前に居た。

咲耶くんが怒った理由を、咲耶くんの口から訊き出したいと云う理由でだった。

しかし、自分をそう納得させているが、違う理由も潜んでいる事は知っていた。

咲耶くんは私との関係に転機を迎えさせるつもり・・・なのだろう。

私は・・・・・・正直、今の関係で充分だと、思っている。

しかし、もし私との関係を深めたいとハッキリ咲耶くんが云って来たとしたら・・・

もしそれを拒んだら・・・如何なるのだろうか・・・?

恐らく、今の私が満足している関係すら保っていられないだろう。

離れるか近付くかしかないのか・・・

さて、如何するかな・・・

廊下の窓を水滴が打ち付ける音が耳障りだった。

息を大きく吐き出しながら、扉のノブに手を掛ける。

そして、再び息を吸い込み、扉を開いた。

咲耶くんの部屋は、闇に包まれていた。

「咲耶くん」

闇に向かい、彼女の名前を呼んでみる。

予想通り、と云ったところか・・・返事は無い。

寝ている訳ではないだろう。

彼女の寝付きは此処までは良くなかった事は知っている。

それに、嫌な事があったら眠ってしまって逃げようとする事はしない人だった。

嫌な事・・・ね・・・

電気のスイッチに手を伸ばし、押す。

しかし、電灯は点かなかった。

まあ・・・当然といえば当然だろう。

彼女はベッドに眠っているのだから、此方のスイッチで電気を消している訳が無い。

私は再びスイッチを押した。

「・・・何か・・・用?」

その時、彼女のくぐもった聲が聞こえてきた。

人付き合いの下手な少女が、見ず知らずの人間に聲を掛けるかのように。

それは今の咲耶くんと、容易に照らし合わせられる物だった。

記憶の片隅に残っていたから・・・

私はそれを気に留め―いや、そうでなくともそうしたのだろう―再びベッドの方に目をやる。

闇の中の影が蠢いた。

「君に訊きたい事が・・・」

私の言葉が云い終わる以前に、電灯が灯る。

それと同時に・・・正しく云えばそれによって、私はある事に気が付いた。

そして、言葉を失った。





自分が流している泪を止められないのが、情けなくて堪らない。

あまり人に見られたい表情ではなかった。

が、今千影を無視する事はただ自分を追いやるだけだと諦めて向いたのに。

それでも泪は止まらなかった。

決意よりも強い絶望に近い失望に押し潰されそうだった。

「訊きたい事って・・・?」

私は聞きたくないのに・・・

躰の中に潜む物と出ていった物が矛盾している事は百も承知だ。

でも、そんな事で諦めたくは無い。

・・・それが私の価値観での愛の意地だった。

「君は今・・・・・・いや・・・先程までの私との関係を如何思っていた・・・?」

「・・・満足・・・だったわよ」

私は深く考え込んで、聲が出せなくなる前に答えた。

千影はそれに対して、何故、と問いたそうな表情をした。

「だけど、納得出来なかったのよ・・・自分自身を・・・この気持ちを・・・っ」

まずい。

感情が更に膨れ上がってくるのが自分でもよく分かった。

しかしその時には、もう遅かった。

流しつつも抑えようとしていた泪を、感情が後押しして洪水を起こした。

「だって・・・だって・・・・・・好きなんだもん・・・仕方・・・ないじゃない・・・うっ・・・うええぇん・・・」

上手く聲が出ない。

伝えたい事も、訊きたい事もあるのに。

大切な事を訊きたいのに・・・っ!

憤りが更に悲しみを深くした。

癇癪にも似て、当の本人である私には止めようが全くなかった。

もうこんなんじゃダメだ、って・・・諦めた。

もう嫌われちゃったって・・・諦めた。

・・・その時だった。

千影に抱き締められたんだって気付くのには二、三秒の時間を必要とした。

悲しみに喜びが混ざり込み、私は更に泪を流した。

千影はそんな私を、ただ、抱き締めていてくれた。





「千影は・・・」

咲耶くんが次に口を開いた時には、既に咲耶くんは泣き止み、泪は乾いていた。

私は咲耶くんと並び、ベッドに腰を下ろしていた。

「如何思ってくれてる?私の事」

咲耶くんの言葉が終わると同時に沈黙は始まった。

捨てられた子犬のように不安そうに見つめてくる咲耶くんから私は目を逸らした。

少し俯くと、先程咲耶くんに解かれた髪が頬に掛かった。

・・・答えが分かっていたら・・・直ぐにでも答えてあげる事が出来たのにな・・・

内心だけで苦笑する。

咲耶くんのこんな表情を見なくても済んだのに。

そう思った時には既に、私は顔を上げていた。

咲耶くんの、先程と何ら変わりなかった。

逆に、不安の色が濃くなっているかもしれない。

その表情に急かされたように、私は言葉を紡いだ。

何も考えなかった。

それが、一番だと思ったから。

「君は・・・私の大切な人だよ・・・・・・誰よりも、ね・・・」

それだけは偽りではない。

そう心の中で付け加えた。

しかし、その言葉への咲耶くんの反応は、複雑な物だった。

一瞬、喜びを見せ、消える。

後に残ったのは、不満と疑惑の表情。

痺れを切らし、降参するように渋々と訊く事にした。

負けを認めるのは少々悔しいが・・・

「すまない・・・教えてくれ・・・・・・君が何をしたいのかが・・・幾ら考えても・・・分からないんだ・・・」

沈黙。

そして、それはほんの一瞬で破られた。

「じゃあ・・・・・・もう一度・・・抱いて・・・」

・・・彼女の突拍子も無い希望に、私は気が付けば頷いていた。

膝の上に置かれ、強く握られた左手を右手で掴んで引き寄せた。

そして、不安そうに瞳を閉じた咲耶くんの腰に左手を当て、強く自分の躰に咲耶くんの躰を押し付ける。

彼女の希望は、精神状態の不安定な歪曲から生まれ出したのか、以前から抱き続けていたのか・・・

それ等は不明だった。

ただ分かるのは、自分の中に新たな感情が生まれつつある事だった。

咲耶くんの望みに影響されて生まれた、強い欲望。

彼女ヲ愛シタイ。

その感情が内側から刻々と膨らむ。

早く彼女を放さなければ、私は・・・本気で彼女を抱きたいと思ってしまうだろう・・・

まだ、希望の域に留まっている事が、唯一の救いだった。





千影の、膚に柔らかく触れる躰を、抱きしめ返す事で実感として認識する。

強く・・・強くその感覚を憶え、繋ぎ止めた。

そして・・・

「・・・ありがとう」

自分から抱いてと云い出し、そして私は自分でそれに終わりを迎えさせる。

別の意味でのそれでも良い。

ただ、それはまだ怖かった。

自分のしたい事が頭の中で完全に整理出来るまで、避けたかった。

「もう大丈夫だから・・・」

そう云った後、私は気付いた。

自分が一番恐れているのは・・・何よりも、千影が私を愛してくれるかと云う事への・・・不安。

「・・・ああ」

千影はそう云い、ゆっくりと私の躰を放した。

一瞬だけ・・・ほんの一瞬だけ、名残を惜しんだ。

不安が増す。

もう二度と抱きしめる事が出来ないかもしれない、と。

「咲耶くん」

千影の呼ぶ聲にハッとし、千影の顔を見つめる。

すると千影は・・・不器用に微笑った。

・・・千影も、昔はもっと素直に微笑っていたような気がする。

それの面影が、薄々とだがその微笑みの中には潜んでいた。

「私は・・・・・・いや・・・私の気持ちも・・・・・・聞いてくれるかい・・・?」

それは初めて、だった。

少なくとも、今日私が気持ちを伝えてから、初めて千影が自分の気持ちを口に出そうとしていた。

私は二度、頷いた。

うつ伏せになって枕に顔を埋めていた所為で少しクシャッとなった前髪が視界の上部で揺れる。

それを見たスイッチを入れたかのように千影は微笑みを消し、無にした。

千影が悩んでいる時の、証明とも云える程それは見慣れていた。

「私は・・・」

千影に見惚れてしまっていた事に自分が気が付く前に、千影の言葉に意識は戻された。

「君を・・・・・・誰よりも大切に思っているんだ・・・だけど・・・」

一息。

そして吐き出す。

「まだ君を愛する事は出来ない」





愕然となる彼女の表情。

私は何故か優しく微笑った。

心配しなくて良い。

まだ私の言葉には続きがあるから。

そう、瞳で訴えた。

少しだけ、彼女の表情に希望が流れ込んだ気がした。

「だから・・・君を愛せるようにしてほしいんだ・・・・・・今から、ずっと」

君の抱く、偽物にも見違える程に美しすぎる愛に、私を近づけて欲しい。

その愛を、共感させて欲しい。

君の愛を模倣した犯罪で、君と。

彼女の頬を、泪が通っていった。

「・・・ありがとう」

ゆっくりと伸びてきた咲耶くんの腕が、私の背中を抱き寄せた。

私は、自然な気持ちでそれに答える。

数秒。

咲耶くんの躰が一旦離れ、私達は顔を見合わせた。

「貴女が、大好きです」

そう云い、小悪魔は悪戯そうに微笑む。

私は柄にも無く照ながらも、微笑みを返す。

突然、咲耶くんは私の躰を後ろへ押した。

抵抗出来ずに私はベッドに倒れ込んだ。

先程と同じ、でも違った。

彼女の心に近づけたから。

早く、この人を愛する事が出来たら良いな・・・

私は静かに願う。

そして・・・・・・

私達はどちらからでもなく、口唇を重ねた。

気が付けば、水滴のノイズは納まっていた。










「櫻の花・・・ほとんど残ってないね・・・折角最後に千影と一緒に見ようと思ったのに・・・」

私達は雨の上がった並木道を、並びながら歩んでいた。

耳を澄ませば、櫻の枝から落ちた水滴が幾つもの水溜りの水面に跳ねる音が聴こえる。

その時は珍しく、二人揃って髪を下ろしていた。

理由はあったかもしれないし、ないかもしれない。

多分、ただ単に合わせてみたかったんだと思う。

「構わないよ・・・・・・来年も、あるだろう・・・?」

瞳を閉じ、少し気取ったように、でも開放的に微笑みながら千影は云った。

「・・・・・・そうね」

そう答えた私の頬に、落ちてきた櫻の花弁の一枚が水滴によって貼り付いた。

すると、それを見た千影は、ごく自然に取ってくれた。

そして千影は微笑みを見せる。

私は口元の笑みを抑えずにはいられなかった。

千影の笑顔は、何度も見てきた筈だった。

なのに、今は以前とは比較しようにない程、意味が違う。

綺麗な硝子の破片を集めて組み立てるような、喜びがあった

来年も・・・千影と、一緒に。

その時までには、絶対に千影にあの言葉を云わせたい。

・・・愛している、と。

櫻の散った並木道は、まだ続いている。

私達の未来と同様に・・・










愛に終わりは無い。

求め続ければ、果てなく昇りつめる。

終わらせる事も可能であって容易だ。

しかし、如何愛を受け止めるかは人其々の価値観の差だ。

昇りつめて落ちるのか、昇った先を保つのか、それとも存在しない果てを目指すのか。

愛に、拘り、願い、求め、考え、諦め、動き、選び、愛し続けられる事自体、倖せな事だ。

だから・・・各々の差が生じる、己に真実であって、他に偽装の愛を信じてください。

世界は今もとめどなく廻り続けているから。





FIN


     

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