HOT LIMIT




「海に行こう!」

突然、ジョギングから帰って来たばかりの衛が聲を上げた。

暫し沈黙。

聴き慣れてきたセミの鳴き声が、其の場全員の耳に現実的に響いた。

其の場に居たのは、衛は当然として、可憐、花穂、咲耶、千影だった。

「いってらっしゃ〜い」

アイスキャンディーを咥え、ソファでだらけていた咲耶が面倒臭そうに手を振りながら云った。

其の手とは逆の手に、ファッション雑誌。

視線も同じく其処にあった。

新しく発売する夏物の服の一覧を眺めていたようだ。

テレビでは朝とも昼ともつかない微妙な時間帯のトーク番組が映し出されていた。

其の場の誰もが視線を一度は移したが、内容は憶えていないだろう。

「・・・・・・同意」

静かに、千影が言葉を続けた。

千影の服装は、夏だと云うのに黒尽くめだった。

しかし、それについて口にする者は居ない。

当然のように当人は汗一つかいていない。

そして、それすら誰も違和感を感じてはいなかった。

要するに・・・其れが何時もの夏の風景なのだ。

「・・・イヂメだよぉ・・・」

衛が小さな聲で愚痴った。

其れを聞いた可憐は思わず微苦笑。

「じゃ、じゃあ・・・可憐達と一緒に行かない?」

瞬間、衛の表情が水を得た魚のように生き生きとした。

あ〜あ、と咲耶の呆れた聲を漏らした。

その咲耶の様子を見て、千影はフッと微笑う。

「・・・え?達・・・って?・・・え?花穂・・・も?」

一瞬遅れて花穂が反応を示す。

「え?嫌なの?」

衛が少しがっかりしながら問うと、花穂はブンブンと首を左右に振った。

「そんな事ないよぉ!花穂もまもちゃん達と一緒に海に行きたい!」

花穂も何気に衛と同じ事を云おうとしていたのだ。

だから、衛が海へ行こうと提案した時、花穂はかなり驚いていた。

心が通じたのかな・・・と、微妙に喜んでもいた。

だから、強く肯定した。

「ホントホント?じゃあ、早速準備し始めようよ!」

衛は花穂の近くに駆け寄り、ギュッと手を握った。

花穂の顔が赤く染まる。

可憐は少し羨ましそうな表情をしたのに、其の場の人間は気付かなかった。

其れには、可憐自身も例外ではない。

三人のそんな遣り取りの後ろで、咲耶は千影に手招きをした。

「・・・なんだい・・・咲耶くん」

千影は面倒臭そうに咲耶に歩み寄る。

すると、急に咲耶は千影の抱き寄せた。

突然のことに千影はなされるがまま、咲耶の両腕の中に招かれた。

「はぁい、お子様達は海へ行ってらっしゃい。私たちは一日中ラブラブしてるから〜♪」

しっしっ、と手の甲を見せてヒラヒラと振る。

ついでに床に雑誌を投げ捨てた。

「ちょっ・・・咲耶くん・・・っ」

千影は呆れたように、額に手を当てる。

そんな千影に、咲耶は咥えていたアイスキャンディーを咥えさせた。

咲耶の視界からは少し隠れた顔は、ほのかに赤らんでいた。

突然乳繰り合いだした二人に、可憐と花穂の視線は釘付けになっていた。

両方とも、顔が赤くなっている。

「ほっ、ほら!早く支度しよっか?ね?」

可憐が突然思い出したかのように提案する。

「そっ、そうだね!まもちゃんも、早く!」

花穂も苦笑しながら、可憐の作った逃げ道をついていった。

「え?そんなに楽しみなの?よぉしっ、なら早く行こう!」

衛は真っ先に自室にを駆けて行った。

可憐と花穂も、咲耶達のラブラブしている部屋に最後まで残されないように、後に続いた。

「・・・・・・三人とも、行った?あの娘達、扇風機独占するんだもの・・・」

咲耶が開きっぱなしになった扉を見ながら扇風機を自分へ向け、千影に問う。

先刻の行動は、三人を追い出す為の物だった。

尤も、咲耶は千影に触れる事を嬉しく感じているのだが。

千影は口からアイスキャンディーを取り出す。

「・・・暑い」

質問には答えない千影。

だから、離れて欲しいと云いたいのだろうが、咲耶には伝わっていない。

伝わっているのに、あえて無視しているのかもしれない。

千影の額に初めて汗が見えたが、其れは言葉にあるような暑さの所為ではなかった。

「本当にこのまま一日中くっ付き合ってましょうか?」

ニヤニヤしながら、咲耶は云った。

千影が照れているのを百も承知だという事は明白だった。

「・・・暑い」

此の二人の、此の光景は一時間近く続いた。





「うわぁ・・・暑いね・・・夏本番って感じだね」

可憐は団扇を片手に、それでも嬉しそうに云った。

あの後、直ぐに其々が水着を用意して、家を出発した。

一年ぶりの水着なので全員、サイズが合うかどうか微妙だったが・・・

花穂を中心に手を繋ぎながら笑顔で歩いている三人は気にしていないだろう。

「けどさ、こう云う時に走るとすっごく気持ち良いよ!向かい風がひんやりするんだ!」

三人ともが、微笑。

決して、話題が面白かったんじゃない。

しかし、当人達は其れを理解していない。

本当は一緒に話している事が楽しいんだ、と。

そんな仲睦まじい中、衛の抱えた大きなボディボードが、三人の雰囲気とは異なっていた。

「衛ちゃんらしいね」

花穂がまた、微笑う。

何時の間にか、可憐が花穂の為に団扇を扇いでいた。

「そうかな・・・」

微妙に頬を赤くさせ、明らかに照れる衛。

そして何時しか、三人はバス停に着いていた。

丁度其処にバスがやって来るのが、最初に可憐の視界に入った。

・・・海、かぁ・・・

可憐の花穂の手を握る力が、無意識の底にある感情によって微妙に強まった。

やがて、バスは妙な熱気と共に三人の前に止まった。





バスに揺られて十五分程で、海が見えた。

三人が住んでいる白並木は、都会に近い割には海にも近いと云う利点があった。

衛曰く、ジョギングついでに来る事もある、だそうだ。

何時か見た、地平線から姿を表す朝日を、衛はある人に見せてあげたいと考えていた。

ちなみにそれは、今衛の直ぐ横に座っている人だ。

如何してそう思っているのか、衛自身が分かっていないのが皮肉な事だろう。

「うっわぁ!人がいーっぱい居るよ!」

花穂がバスの窓に張り付きながら、笑顔を二人に見せる。

一緒に窓に張り付き、外を眺め始める衛。

そして、優しい笑顔を当たり前のように返す可憐。

暫らくして、ふと可憐が思いだしたように云う。

「二人は家で一度水着着てみた?」

「「・・・え?」」

思いもしなかった、と云うのが見て取れる様子に、可憐は思わず苦笑する。

つられて衛も引き攣った笑顔を見せた。

花穂はチラッと水着の入った鞄を見る。

ポンポン、と軽く叩いて、意味も無く水着の存在を確認する。

「サイズ合ってるか分からないでしょ?だから・・・水着のお店に寄っていこうか?」

可憐の提案に二人共、顔を上げて頷く。

其の表情は、可憐の提案への尊敬にも似る物が含まれていて、再び可憐を苦笑させる。

花穂が景色に再び視線を移した時、バスは既に止まっていた。

そして、ドアの開く音が三人の背後に聞こえた。

再び、外の熱気が感じられた。

そして三人は席から立ち上がり、リズム良く、三つあるバスの段を降りる。

熱気の他に日光の暑さも加わり、多くの人間が酷く脱力を覚えるだろう。

しかし、例外も居る。

今・・・此処に。

「水着のお店って・・・何処にあるの?」

花穂が今にも海に入りたそうに、ウズウズしながら問う。

「えっとね、もうちょっと坂を下りたところにあるよ」

可憐も衛と同じく、此の周辺の事は詳しかった。

此方は衛とは理由が異なった。

可憐がピアノのコンサート会場に行く時は、バスに乗っていくので、此処を通るのだ。

何度もコンサートに行っている可憐は目にしていて当然だった。

だから、さも当たり前のように右手で坂の下を指差す。

すると、反対に花穂はかなり尊敬した様子で、可憐の左手を両手で包んだ。

「可憐ちゃん、物知りだなぁ・・・格好良い!」

「あ・・・あぅ・・・」

当然を誉められた事と、花穂に手を握られている事に対し、可憐は照れを返す。

「むぅ・・・」

衛は微妙に可憐に嫉妬し、花穂の腰に後ろから抱き付いた。

でも、花穂の顔が赤くなったのを目にすると、直ぐに放す。

「じゃ、いこっか」

そう云った衛は、自分が笑っている事に気付いてはいなかった。

そして、移した視線の先に、ずっと昔には存在していた物が無くなっていた事も・・・

三人は忘れてしまった。

綺麗過ぎるあの日の夏を。





「可憐ちゃん?居る?」

三人は、海水浴用の道具が様々に並んでいる店内の、一番奥の試着室に居た。

右側の方の試着室を使用している衛は、少し大きめな聲で可憐を呼ぶ。

「うん、居るよ」

衛の持ってきたボディボードを持って、待っている可憐は何をするでもなく、返事をする。

「ボクはサイズピッタリだし、平気そうだよ」

云い終わると同時に、衛は試着室のカーテンを開けた。

「ジャーン!如何?似合う?」

そう云った後衛は、何か咲耶ちゃんに似てたかも、と思う。

「うわぁっ!凄い!似合う!可愛いよ!」

可憐は素でそこまで誉めた。

其れ程に、まあ・・・可憐のは誉めすぎだが、衛に水着は似合っている。

着慣れた、とも、馴染んでいる、とも取れる雰囲気だった。

「えへへ・・・」

衛は衛で、素直に其の賞賛を受け取る。

・・・可愛いなんて云われたの、久し振りかも・・・

以前の衛なら、其の言葉は嫌だと思ったかもしれない。

其処まで行かなくとも、素直には受け取れなかっただろう。

でも、今は違う。

ある人にそう誉められた時から。

ふと、衛は其の人を思いだす。

「ねえ、可憐ちゃん。花穂ちゃんは?」

カーテンを開けっ放しの状態で、衛は水着の上にジーンズを穿いていく。

可憐は衛の問いに、便乗して頷く。

「花穂ちゃ〜ん」

衛が呼ぶが、隣の試着室に居る筈の花穂は無反応。

「「・・・?」」

可憐と衛は思わず顔を見合す。

可憐がカーテンの下の方を見ると、花穂の足が見えた。

そもそも、可憐がずっと前で待っていたのだから、居るに決まっているが。

「花穂ちゃん?」

可憐がカーテンをひょいと捲り、中を覗いた。

途端。

「きゃ
―――――――!!!」

店内に悲鳴が響いた。

「あっ、あっ、ごめんなさい!!」

可憐は咄嗟にカーテンを閉め、後ろを向いた。

衛は一人蚊帳の外で思わず、苦笑。

花穂の赤くなった顔も、可憐の其れも、衛には見慣れたものであり、容易に想像出来た。

そして、其の表情は自分にも倖せを分けてくれた。

それでも、衛は知らない物がある。

二人も同様に、衛の其れを見慣れ、倖せを受けている事。

可憐は頬を赤く染め、胸に手を当てて必死で鼓動を抑える。

・・・大きかったなぁ・・・

思い返した、可憐はまた顔を赤くした。

花穂も可憐と同様の反応をしている。

先程のは、花穂が水着のブラを外している途中の出来事だった。

うわぁ、うわぁ、うわぁ・・・!

花穂は考えも纏まらず、完全に混乱状態に陥っていた。

それでも、花穂は手にしている物によって、ある事を思い出すと同時に冷静になった。

照れの証明である、顔の赤みはまだ消えないが。

「あ、あの・・・可憐ちゃん?」

花穂は恐る恐る顔を外に出す。

一体何を恐れてるのだか。

そして、可憐の反応は・・・

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいー!」

謝罪の連続だった。

花穂が困惑していると、既に着替え終わっていた衛が可憐の代わりに受け答えをする。

「如何したの?」

「水着・・・サイズ合わなかったから、似たデザインでもうちょっと大きいの持ってきてくれる?」

花穂が胸を先程まで着ていた服で隠しているのを見ると、頷いた。

「うん、良いよ」

花穂の提示した水着を一目見て、再度確認するように頷く。

水着の羅列から、先程の水着と似ているが何処かが違うデザインの物を選ぶにいく。

「此れで良い?」

ある場所の水着を少し掲げて花穂に見せる。

花穂が頷くのを見ると、衛はまた試着室まで駆け寄る。

「可憐ちゃん・・・そろそろ此方向いても良いと思うけど・・・」

衛は可憐にそう云ったが、可憐はただ首を左右に振っていた。

苦笑。

衛は花穂の顔の高さまで水着を持ち上げて渡す。

花穂は其れを受け取ろうと・・・・・・した。

・・・トサッ、と布が落ちる音が聞こえる。

「あっ・・・」

花穂が胸を隠していた洋服を、水着を受け取ると同時に落としたのだ。

一瞬。

きゃ
―――――――!!!

もはやお約束だった。

「えっと・・・えっと・・・・・・アハハッ」

衛は失笑気味に、カーテンを閉める。

「ごっ、ごめん!!」

そして、衛も可憐と同様に後ろを向いて、火が付いたように顔を赤くした。





「もうっ!本当に恥ずかしかったんだからね!」

花穂は衛に渡された水着を持ってレジに出しながら、頬を膨らませている。

可憐は財布の中から水着の代金を消費税込みで計算してレジに出す。

「だから謝ってるだろ?」

衛はやり難そうに視線を泳がせながら、反論する。

でも、花穂と目を合わせるとそんな事は云えないのだが。

「分かったよぉ。まもちゃん達だから、許してあげるね」

花穂は微笑う。

視線を向けた時に見た其の時の笑顔は、言葉と共に衛の心に強く残った。

其れと同時に先刻見た裸が被さって、またほのかに頬を染めた。

花穂も花穂で、実は見られて嬉しがっている・・・まではいかなくとも、嫌がってはいなかった。

可憐はお釣りと、袋に包まれた水着を店員から受け取る。

「可憐ちゃんも、何時までも照れてないでね」

花穂が可憐に向かってそう云うと、可憐は頷いた。

其の頬は未だに赤い。

「はい・・・此れ・・・」

水着の入った袋をおずおずと差し出し、花穂の顔を見る。

・・・何を考えたのか、顔は赤みを増した。

「ありがとう」

花穂はそう受け答え、試着室に再び入っていった。

ほんの少し、何となく、の範囲内だが、其の素っ気無さが、可憐は気になった。

花穂としては別に嫌な気持ちにさせるつもりは毛頭無い。

ただ、衛達と早く遊びたいと云う気持ちによって焦らされていただけだ。

「ほら、可憐ちゃんも着替えてきなよ」

衛が可憐の背中をポンと軽く押す。

「・・・うん」

小さく頷くと、可憐は花穂の入っていった試着室の、二つ右の試着室へと入っていった。

そして数分後。

「お待たせ、まもちゃん・・・可憐ちゃんは、まだ?」

花穂が出てきた。

衛は困ったように微笑う。

「可憐ちゃんはもう出てきてたけど・・・何か凹んでるみたい」

衛が指差す先には可憐が居た。

背中にくっ付いていたらしい可憐は顔を覗かせ、花穂に問う。

「怒ってる?」

「え?」

花穂は一瞬何の事だか分からなく、思わず訊き返した。

「あ、先刻の・・・?やだなぁ、怒ってる訳ないよぉ」

それでも少し照れ、手をブンブン振りながら花穂は云った。

すると、可憐の表情は直ぐに明るくなった。

「本当?」

「うん、本当だよ。だから、ね」

花穂の手が可憐の前に差し出される。

手を繋いでも良い、と云う意味だと理解するのに一瞬遅れたが、可憐は其の手を握った。

気が付けば花穂の反対側の手は衛が握っていた。

「じゃ、いこっか」

花穂はそんな可憐に笑顔を見せた。

可憐は一瞬ハッとし、笑顔を返す。

其れを見守っていた衛も同様に。

そして可憐は深く頷く。

「う・・・うん!」

三人はまた、手を繋ぎ合った。





「よいしょっ・・・っと」

衛は、花穂の敷いたビニールシートの傍に、レンタルのビーチパラソルを刺す。

砂は静かに、音を立てて其れを受け入れた。

「よぉっし!じゃあ泳ごー!!」

衛はそう叫ぶと、さっさとジーンズを脱いだ。

続けてサンダルをポイッとビニールシートの近くに投げ捨てると、駆け出した。

「あ、花穂も一緒に行くから待って!」

花穂も同じように水着の上に着ていた洋服を脱ぎ始めた。

花穂は衛と違い、上下とも着ていたので時間が掛かる。

衛は花穂の聲が耳に聞こえたので、振り返り待つ。

可憐は花穂の其の様子に、視線が釘付けになっていた。

溜息。

・・・大きいなぁ・・・

何が大きいのだろうか。

何にせよ悪質なのは、可憐がほぼ無意識にそう思った事だろう。

彼女は・・・いや、彼女達は気付いているのだろうか。

変わらないと信じていた物がゆっくりと変わっていってしまっている事に。

衛は早く花穂達と遊びたいと全身で表現するかのようにウズウズしていた。

しかし、着替える様子を見せない可憐が視界に入ると、衛は少し意外そうな顔をして問う。

「あれ?可憐ちゃんは泳がないの?」

可憐は荷物をシートの上に置き、座っていた。

「・・・え?可憐?」

見惚れていた事もあり、反応が遅れる。

「可憐は・・・二人の事見てるよ。荷物とか置いていくのも心配だし・・・」

荷物に視線を一瞬だけ移す。

衛もつられた。

「でもさ、勿体無いよ。水着着てきたのに」

「そうだよぉ」

花穂の聲が急に会話に加わり、可憐と衛は其方を向いた。

そして、可憐は再び見惚れた。

花穂の水着姿に。

花穂の着ていたのは、向日葵の花柄のビキニだった。

先程も見た筈だったが、水着よりも裸に目が行っていたらしく、可憐はほぼ初見だった。

「花穂ちゃん水着すっごく可愛いよ!ボクのお嫁さんにしてあげたいくらい!」

衛は冗談混じりに、でも本気で誉めたかったらしく、そう云った。

でも、云った後に気が付いたのか、少し照れる。

云われた側の花穂が誉められたと云う事のみを認識したのが、唯一の救いだった。

「ありがとう、まもちゃん。まもちゃんも可愛いよ」

花穂が嬉しそうにそう云うと、衛は、えへへ・・・と照れ隠しに笑った。

「ねえ可憐ちゃん。花穂、可憐ちゃんの水着も見たいな」

「え・・・?」

自分に向かって手を差し伸べ、そう云った花穂の顔を可憐は思わず見つめた。

自分の思っている意味を含んだ言葉じゃ無い事は分かっている。

分かってるけど、でも・・・でも・・・嬉しかった。

「・・・だから、着替えて花穂たちと一緒に泳ごうよ、ね?」

其れがスイッチだった。

花穂の手に可憐の手が重ねられる。

シートについていたもう片方の手を離し、立ち上がった。

花穂の肩越しに、衛が嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。

何だろう・・・今日は・・・不思議な日だ・・・

御伽噺のように嬉しい事が続く一日に、可憐はそう思った。

しかし、其れも強ち冗談ではない。

原因は三人の中に、色褪せていても確かに残っている筈の物にあるのだから。

三人は突然・・・でも、一緒に駆け出す。

微笑み合いながら。

手を握り合いながら。

三人の呼吸がシンクロする。

意図的に合わせているのか、偶然に合ったのか。

海独特の匂いが鼻腔に香る。

やがて、砂浜が海水に湿っている所まで来た。

其の時だった。

「きゃっ・・・!」

花穂の躰が、貝によってバランスを崩し、傾いた。

「あっ!」「わっ!」

二人が驚きに聲を上げるより早く、花穂は濡れた砂に顔面からぶつかった。

助けようとして衛が咄嗟に花穂の腕を掴んだのも効果は無かった。

「いったたたたぁ・・・」

花穂は直ぐに起き上がって座り込んだまま、砂だらけになった顔で苦笑する。

「「か、花穂ちゃん!大丈夫!?」」

可憐と衛の聲が重なる。

そして二人は花穂の傍にしゃがみ込み、頬を片方づつ分担して砂を掃ってあげる。

「あははは・・・ごめんなさい・・・」

花穂は苦笑の中の困りの色を濃くした。

其の時に開いた口に砂が入ってしまい、人差し指で舌の上の其れを出す。

「大丈夫?」

砂を掃い終わると、二人は花穂の顔を覗き込んだ。

其の心配そうな顔が視界に入り、花穂は収まりかけていた苦笑いを再度した。

「平気・・・だよぉ・・・花穂・・・慣れちゃったから・・・えへへ・・・」

花穂の聲が湿っぽくなる。

可憐はあっと聲を上げて驚き、慌てて言葉を捜した。

「えっと・・・ほ、ほら、花穂ちゃん、あっと・・・えっと・・・な、泣かないで!」

其の言葉も虚しく、花穂の目尻には泪の雫が溜まっていた。

可憐は困り果て、あぅあぅと言葉が出ずにいた。

花穂は必死で自分の泪が流れるのを止めようとする。

しかし、今日はまだ一度も転んでなかった故に、遊べる直前で転んだのが悲しかったのだ。

楽しかったから、悔しいのだ。

自分の所為で其れを崩すのが嫌だったのだ。

だから、だから・・・泪が出た。

「なんで泣くんだよ」

瞬間、花穂の躰が小さく震えた。

聞き慣れない、衛の少し怒ったような聲に。

何故そんな聲になったのか、衛自身も分からなかった。

でも、ただ許せなかった。

いや・・・そうしなければ許す事が出来ないのだ。

自分自身を。

花穂は其れに驚き、顔を上げる。

「誰も花穂ちゃんを迷惑だなんて思ってないんだから・・・だから、遊ぼうよ。海で思いっきりさ」

真剣な表情だった衛は、云い終わると優しく微笑った。

其の時、心配して花穂の表情を窺った可憐は驚き、そして衛と同じ表情になる。

花穂はもう、泣いていなかった。

花穂の瞳に映るのは断片的な、あの時と同じ空に重なった自分と衛の姿。

そして横に居る可憐の姿。

でも、まだ分からない。

思い出せない。

衛の表情を真っ直ぐに見据え、そして・・・

「ありがとう」

そして、微笑み返す。

何だかな・・・如何でも良い当たり前の事を気にして・・・

何で・・・・・・だろう・・・

何で・・・

三人は感じる。

三人で居る事の違和感。

此処に居る事の違和感。

忘れている、あの日。

同じ、夏に此の海に来た思い出。

変わっていく。

肉体も。

精神も。

だけど変わらない。

其の証拠に、あの時と同じ事が繰り返した。

今とは立っていた場所が違ったけれど。

それでも同じなのは最も大切な結果。

また、近付いた。

三人はやがて海へ向かって再び走り出すだろう。

そして、時の流れも同じように。

だけど・・・今はこのまま笑い続けよう、今此の瞬間とは全く相違の無い三人のままで。

目の前に広がる海のように・・・蒼く・・・深く・・・





FIN


     

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