ストロベリーシェイク



極々普通平凡で平和な平日。
放課後に部活動をしていない様々な学校の学生達が寄り道をしている、夕日が傾き始めた時間帯。
私も其の寄り道している中の一人。
・・・いや、寄り道させられた、と云った方が正しいか。
「でね、酷いのよ衛ったら」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
此れで三度目だ。
咲耶くんは今日だけで三度目の、愚痴を云う時の決まり文句を云った。
食べ終わったミルクレープの銀紙に、ヒメフォークで穴を開けながら。
「だから私云ったのよ。『日直の仕事と私との約束、どっちが大事なの』って」
「もう其れは分かったよ・・・・・・」
私は溜め息を吐き、GreenChristmas特製のショソンレザンを一齧りする。
パイ生地を流し込むようにブラックのアイスコーヒーを口に含み、飲み込む。
苦い液体の中で、甘酸っぱいレーズンが口内を踊った。
食器が何かにぶつかる音が聞こえ、私は視線を正面に戻す。
すると、咲耶くんが両手をテーブルにつき、前のめりになって私の顔を覗き込んでいた。
「だったら何か・・・何か云いなさいよっ」
・・・何故。
何故そんなに縋る様な瞳をするんだ。
「其れも分かっている・・・・・・だけど、君が私に望む言葉が分からないので・・・・・・困ってる・・・・・・」
分かっている。
漠然とした不安。
だけど。
君の望む言葉が分からない。
私の望む言葉が分からない。
「・・・如何云う事よ」
咲耶くんは椅子に座り直し、フォークを持ち直してから溜め息を吐く。
「だから・・・・・・其れが分からないんだ・・・・・・」
私はショソンレザンをもう一口齧ってから、そう云った。
そして、其れと同時に、会話が、大気に溶けた。
何処かで聞こえた、グラスの中の氷が崩れて立てた音。
聞こえてきたのは目の前の私のグラスか。
それとも別の客のグラスからか。
それとも・・・
「・・・・・・ねぇ・・・」
彼女の呼び掛けによって、私の聴覚から全ての雑踏が消え失せた。
真剣な眼差しが私を射止める。
私は思わず唾を飲み、心成しか奥歯を強く噛んだ。
「なんだい・・・・・・?」
私の問いから二秒ほど間を置いて、咲耶くんの視線が少し下に下がる。
其の視線を追うのを堪えて、私は咲耶くんを見つめた。
咲耶くんは何かを暫く見つめ、口を開いた。
「私にも其れ、ちょっと分けて」
咲耶くんはヒメフォークで私の手に持ったショソンレザンを指す。
少なからず先程までの会話の続きを期待していた私は、わざとらしく溜め息を吐いた。
「・・・・・・どうぞ・・・」
別に一つ分けるのを断る程の物ではないので、手に持っていたショソンレザンを咲耶くんのケーキの皿の上に置いた。
・・・呆れてはいるが。
「食べ掛け渡すなんてケチ臭いわねぇ」
「此れを分けろ、と・・・・・・示したのは君じゃないか・・・・・・・・・文句があるなら返してくれ・・・・・・」
勿論、返せと云われて返すような咲耶くんではない事は百も承知。
むしろ逆効果だと云う事を読んで、云ったのだ。
「それもそうね・・・じゃあ、あーん」
咲耶くんは期待したように、はしたなくない程度に口を開け、私に向ける。
食べさせろ、と云う意思表示だろう・・・が。
「あーん、じゃない・・・・・・子供か、君は・・・・・・」
私は視線を逸らし、テーブルに肘をついて両手を組む。
想像の中の、食べさせてあげている自分の滑稽さと、其れを見て微笑んでいる咲耶くんが気に入らなかった。
そして追い討ちの一言。
「良いじゃないのよ、千影って其処までケチだった?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
さっきから人の事をケチケチと・・・
強制させられているような気になって、流石の良心も萎えるのだが、おそらく其れが彼女の狙いだ。
私を不快にさせて、自分の不快感を紛らわせようとしているのだろう。
・・・迷惑な話だ。
「仕方が無いな・・・・・・ほら、あーん・・・・・・・」
私は思い通りになるのが嫌で、あえて自分の嫌な行動を選んだ。
だが、此れは恥ずかしい。
普段は全くの意識をしない周囲が、妙に気になる。
不自然なまでに誰かに見られているような気がしてならない。
それに・・・
「あーん・・・」
此れは、どちらにせよ結局彼女の思い通りになっているのではないか・・・?
私を不快にするのが彼女の目的ならば、充分過ぎた効果だ。
彼女はパイ生地の食感を楽しみながら、口元を隠してショソンレザンを食した。
「喉渇くわね、此れ」
「・・・人から食べ物を分けてもらったくせに・・・・・・第一声が其れか・・・・・・」
私が呆れて悪態を吐くと、彼女は微笑った。
そして、何の迷いも躊躇いもなく云った。
「私は何時でも素直に物を云うわ」
「嘘吐け・・・・・・」
そう云ってから、私はしまったと思った。
自分を否定された咲耶くんは、おそらく怒るだろう。
・・・・・・いや、必ず。
「嘘?何が嘘よ」
溜め息は飲み込んだ。
仕方が無い。
「素直じゃないだろう、君は・・・・・・決して何時も、とは云わないが・・・・・・」
「じゃあ、千影は素直?」
間髪入れずに問われ、私は言葉に詰まる。
「・・・・・・正直なつもりではあるが・・・・・・」
「私の事、好き?」
また、言葉に詰まる。
ストレートに云うのは苦手だ。
だから私は彼女が苦手なんだ。
「馬鹿か・・・・・・」
「答えなさい」
彼女は其れを分かっているだろう。
立場、関係、総じて私と自分自身と云う物を。
ただ、自分自身の気持ちを分かっていない。
いや、分かろうとしない。
そう云う事、なのだろう。
「はぁ・・・・・・・・・当然だ・・・・・・」
「うふふっ、千影可愛い♪照れてるの?」
・・・咲耶くんはトンボの目でも回すつもりかと問いたくなるような動きをフォークでして見せる。
私はあえて反応せず、ショソンレザンとペアになっているショソンポムを手に取り、齧る。
此方の甘さは度合い的にはあまり好きではないが、果物の自然な甘みと云う事もあり、嫌いでもない。
コーヒーと共に流し込む食し方には、うってつけなのかもしれない。
ただ、私の味覚の好みが、其のうってつけよりも甘さ控えめなだけだ。
「・・・其れはそうと・・・・・・何時までフォークを持っているつもりだ・・・・・・」
私は先程から思っていた疑問を口に出しただけなのだが、咲耶くんの笑みはキョトンとした表情に変わった。
カチ、カチ、カチ。
三回、皿をフォークで突付く。
特に何か理由を思い付いた様子もなく、問われた事に答えられない事からか、眉を小さく顰めた。
「良いじゃない。役に立つんだから」
「そうかい・・・・・・」
あえて、何の役に立つんだ等とは問わない。
彼女の心理も大体分かった。
時間稼ぎは済んだだろう。
もう、考えは纏まった。
「愛・・・・・・」
「・・・え?」
唐突に話を戻した私に、咲耶くんはついてこれずに訊き返した。
彼女の表情が真剣なものに戻ったのを見てから、私は再度云い直す。
「愛と云う物は・・・・・・一概に此れと比喩出来る物ではないが・・・・・・」
・・・長くなりそうだ。
自分の話の切り出し方からそう思い、私はコーヒーを一口含む。
咲耶くんの前の銀紙が、ビリッと大きく裂けた。
引っ掻かれた皿が不快な音を奏でる。
其の不快な音によって齎されたのではない、咲耶くんの不快そうな視線が私を睨み付ける。
「焦らさないで」
頬杖をついていた左手の爪先で、咲耶くんはテーブルを不規則なリズムで叩く。
ふむ・・・
私は思わず微笑う。
この目だ。
真っ直ぐに私を射抜く視線。
今、君の視界には、私しかいない。
私の反応が気に食わないのか、咲耶くんは視線を外した。
「・・・其れだ・・・・・・」
「・・・・・・どれよ」
視線を逸らしたまま、咲耶くんは問う。
私は咲耶くんの手からフォークを静かに奪い、先刻の咲耶くんの真似をして、その切っ先で指し示す。
他でもない、咲耶くんを。
「焦り・・・・・・」
咲耶くんの眉が小さくだが、動いた。
怒らせた、か・・・
「私が、焦ってる・・・って云いたい訳?」
「・・・ああ・・・・・・」
咲耶くんが怒り出したところで、私は間違った事を云った覚えは無い。
間違いがあったとするならば・・・
咲耶くんが私に相談してきた事。
私が答えを示すべき状況に立ってしまった事。
咲耶くんが君を愛し・・・そして。
そして、私が・・・
「君の其れが、君の愛を揺るがせ・・・・・・不安にさせているんだろう・・・・・・」
焦り、不安。
何時でも何処でも誰よりも自分を保ち続けてきた咲耶くんの、大嫌いな言葉。
だが、返って来たのは強がりでも誤魔化しでもなく、ただ一つの姿を留め続ける物。
即ち、沈黙。
咲耶くんはただテーブルを見ている。
・・・いや、実際には何処も見ていない。
彼女の視覚は今、何も認識していないのだろう。
其れで良い。
君が見るべき者は、私ではない。
「・・・なるほどね、思い出したわ」
「何をだい・・・・・・?」
咲耶くんはふと、顔を上げた。
其の言葉に問い返すと、咲耶くんは瞳を瞑り、少し斜め上を向き、言葉を紡いだ。
「『愛は積み木のような物。少しずつ積んでいく物。そして、欲張り過ぎると崩れてしまう物』・・・」
・・・何処かで聞いた事のある言葉。
何処で・・・何時・・・?
「きっと、皆覚えてる。貴女が私達にそうやって云った時の事」
言葉ノナイフガ胸ヲ刺ス・・・
「私は・・・」
覚えていない。
そう云おうとして、途惑った。
別の何かを云おうとしていた自分に。
そして同時に、別の何を云おうとしたのか、分からなくなって愕然とした。
「・・・千影?」
咲耶くんの右の手の平が視界を上下し、私は我に返った。
「あっ・・・・・・あぁ・・・・・・・・・すまない・・・・・・」
「如何したの・・・?」
私は無言で首を振る。
咲耶くんは訝しげにしながら、溶け掛けたストロベリーシェイク半分程を一気に飲み干した。
彼女は目を瞑り、俯くと、グラスを置いた。
「頭痛い・・・」
呆れて、私は溜め息を一つ吐く。
「当たり前だよ・・・・・・」
咲耶くんは涙ぐんだ目で私を睨み付ける。
私は肩を竦ませた。
「まあ、良いわ」
痛みが収まったのか、咲耶くんは涙を拭った。
「帰るわよ」
「・・・私はまだ飲み物が残っているのだが・・・・・・」
私がそう云うと、咲耶くんはテーブルの上のグラスを見つめる。
「私は、帰るわよ」
「ご自由に・・・」
云い直した咲耶くんの言葉を私は促す。
咲耶くんは河豚の様に口を膨らませた。
子供じゃあるまいし。
「じゃあ、御代は千影に任せるわ」
そう云うと、咲耶くんは薄い上着を羽織り、店の出口へと向かう。
扉の前に行くと、一回だけ此方を振り向いた。
文句を云わなかったのがお気に召さなかったのだろうか。
咲耶くんは大層ご立腹な様子で外へと出て行った。
「ふぅ・・・」
息を一つ吐き、私はアイスコーヒーを口に含む。
其の時、携帯が徐に鳴った。
咲耶くんか。
大体は分かっていた。
折りたたみ式の其れを開き、メールを閲覧する。
ディスプレイに映るのは二つだけの文字。
『寒い』
私はふっと、微笑った。



FIN.


     
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