2003/10/22
kiss



『おはよう』や『おやすみ』
そんな言葉達と一緒に、貴女がくれるキス。
今では日常の一部みたいなものになっていて、自然と恥ずかしさはなくなってきていた。
ただ、いつになっても嬉しさだけは変わらない。
そんな倖せなボクの、其れが日常でなかった頃のちょっとした思い出。





「ただいまっ、さくねえ!」
家に帰ってきてからすぐ。
ボクは玄関から、リビングにいる筈のさくねえを呼んだ。
暫く待ってもいつもの言葉は聞こえず、不思議に思いながらボクはスニーカーを脱いだ。
「さくねえ」
もう一度呼んだ。
しかし、先程と同じように返事は全くなし。
思わず其の場で首を傾げる。
廊下を少し早足で駆け、リビングに向かう。
扉を開けると、さくねえはいた。
ボクは一瞬喜び、一瞬考え、肩を落とした。
さくねえがちゃんといた事に喜び、何で返事がなかったのか考え、理由を確認してがっかりしたんだ。
さくねえはボクの事を待っててくれたみたいだけど、ただ今はぐっすりとお休み中だった。
…せっかく買ってきたのに。
ボクは左手に持った買い物袋に視線を移し、溜息を吐いた。
さくねえに頼まれたから買ってきたのになぁ…
確かにさくねえは全然悪くない。
でも、やっぱり未練がましく残念に思ってしまう。
さくねえを早く助けてあげたいと思って、買い物も走って行って早く済ませたのに、って。
そう、ボクはさくねえがお腹を押さえて苦しそうだったから、お使いを引き受けたんだ。
其の時のボクには、自分が買ってきた其れが何かは分からなかったけれど。
云われた通りの名前のお薬を買ってきただけだから。
けど、今ならボクも分かる。
ボクもさくねえと同じのにお世話になっている。
さくねえがおすすめしてくれた、あの時買いに行ったお薬。
そう云えば、あの頃はまだ『男の子』でいたいと思っていた。
「さくねえ…」
ボクは頭をソファの肘掛けに乗せて仰向けに寝ているさくねえの顔を覗き込む。
もしかしたら、意地悪して寝たフリしてるだけなんじゃないか、って…
近付いたら、急に抱き締めたりして、驚かせてくれるんじゃないかって、いっぱい期待してた。
でも、いくら近付いてもさくねえは静かな寝息を立てていた。
其れに合わせて『女の子』の特徴でもある大きく膨らんだ胸がゆっくり上下する。
「さくねえ」
ボクは諦めが悪く、さくねえにもう一度呼び掛けた。
やっぱり…返事はない。
途端、さくねえはすぐ傍に居るのに、如何しようもなく寂しくなった。
ボクはボクがいつもどれだけさくねえの言葉を求めているのか、思い知った。
そして、いつもどれだけさくねえが其れに応えてくれているのかも…
胸が、急にドキドキし始めた。
何だろう、此の気持ち…
時々感じる感覚だけど、ハッキリしなくて良く分からなかった感覚。
ただ一つ確かなのは、其の感覚の近くには必ずさくねえが居るって事。
だけど。
ボクがいくらドキドキしても、今さくねえは何もしてくれない。
いつもは何か云ってくれるのに。
さくねえの、荒れのない綺麗な口唇の隙間から漏れるのは安らかな寝息だけ。
…さくねえの口唇を見つめていたボクの心に、ふと、イケナイ願望が生じた。
キス…しても良いかな…
自分の口唇に触れながらそんな事を呟くように思ってから、ボクは左右に大きく首を振った。
だ、ダメだよ…何考えてるんだろう、ボク…
…でも……
ドキドキが止まらない。
でもっ…!
ボクは泣きそうになった。
氾濫した良く分からない感情に戸惑いながら、其れに逆らう事も出来ずにただ流されてい
くボクがいた。
肘の先から伸ばした指先にかけて、小さく震えている。
さくねえが枕代わりに頭を乗せているソファの肘掛けに右手の平をつけて、ボクは自分の
体重を支えながら、ゆっくりとさくねえの顔に近付いた。
視界を占領するさくねえの顔は、やっぱり綺麗だって思う。
胸のドキドキが、どんどん大きくなっていく。
まるで締め付けられているかのように苦しくて、切ない。
自分の行動の所為でドキドキは止まらず、今度は苦しくて後戻りが出来ない。
助けて…さくねえ…
震えていた足が躰を支えられなくなり、ボクはさくねえの傍らに膝をついた。
「さ、さくねえ……」
お願い…今すぐ起きてボクを助けてよ……
じゃないと…ボク……もう…
さくねえに触れないようにしながら、両手の間にさくねえの躰がくるようにソファに手をつき直した。
そして、ボクはさくねえの口唇に、自分の口唇を接近させる。
罪悪感から目を逸らしたい気持ちが、自然にボクの目を閉じさせた。
…其の時だった。
「…うぅん……」
さくねえが狭いソファの上で、寝返りをうった。
ボクは驚き、とっさに後ずさろうとして、転んだ。
さくねえの寝返りは背もたれの方へ向けられた物だったので、さくねえがソファから転げ
落ちる事はなかった。
そもそも、もしもさくねえが反対方向に寝返っていたら、ボクとさくねえの口唇は…
尻餅をついた体勢のまま、ボクは自分の行動の愚かさに気付いた。
溢れてきた泪がこぼれる前に。
嗚咽が慟哭に変わる前に。
ボクはリビングから、走って逃げた。
途中で開けた扉は閉めるのも忘れていたけれど、最後の扉だけは忘れずに閉めた。
逃げ込んだ、自分の部屋の扉だけは。
扉が大きな音を立てて閉まると、ボクは扉に背を預けたまま、ズルズルと其の場に座り込んだ。
そして、泣いた。
泪を振り絞り、嗚咽も何も抑える事なく泣いた。
泣いている間は後悔だけで、他の何にも悩まされる事がなく、逆に安心出来た。
其れに何より、時間に流れて欲しかった。
だって、時間が経てばさくねえが起きてくれるから。
其れに、時間と共にボクの心は落ち着いていき、泪も枯れる前に止まってくれた。
…そろそろ、戻ろう。
さくねえが目を覚ましたら、お薬を渡してあげるんだ。
『おはよう』って、云うんだ。
理由なんて、其れだけ。
「さくねえ…」
リビングへ戻り、さくねえの名前を呼ぶ。
すると、今度はあっさりと、そしてゆっくりとさくねえは目を開く。
いばらの森のお姫様じゃないから、キスが無くてもさくねえは起きるんだ。
「あ……おはよう、衛」
「うん……おはよう、さくねえ」
此れだけで、悩みも悲しみも切なさも苦しみも、取り戻せるから。
良く分からない感情と一緒に。
今も、ずっと。



END
【あとがき】何時もながらの思いつきネタ。考察などなしです。
2003/02/25
蒼い月



ウェルカムハウスのリビングにて。
「今日は衛ちゃん元気無くないデスか?」
円卓に座った四葉ちゃんは遠目に衛くんを見ながら、隣に座っている私に問う。
そして、不思議そうな顔をしたまま此方を向き、首を傾げた。
そっと頭に手を置くと、其の表情は笑顔へと変わった。
「ああ、確かにね・・・・・・」
私は頷き、衛くんを見つめる。
私と四葉ちゃんも同じようにした。
衛くんは知らない。
彼女が何を考えて、あの道を選んだのか。
私が関わっていた事も。
そして、彼女が今後一切帰ってくるつもりが無い事も。





・・・今日の朝。
「さくねえ!」
雨音の中、車の外から名前を呼ばれるのが聞こえ、運転席の咲耶くんはハンドルを強く握った。
私は後部座席から日除けフィルターの貼られた窓を通して外を見た。
車が衛くんの横を通り過ぎたのと、其れはほぼ同時だった。
衛くんは咲耶くんを真っ直ぐに見つめ、後部座席の私には気付いていない様子だ。
「衛くんが・・・・・・呼んでいるよ・・・・・・」
だが、咲耶くんは車を止めはしなかった。
例え妹が雨の中で傘を持たず、濡れ鼠になっていても。
其の娘が自分を探す為に必死になっていたとしても。
其れ程、咲耶くんの決意は固かった。
「嫌だ!行かないで!さくねえ!」
車の外から、衛くんの叫びが聞こえる。
悲しみと驚きに、必死で足掻こうとする叫び。
サイドミラーに映った衛くんは、其れと共に駆け出す。
「さくねえ!!」
咲耶くんの名前だけが呪文のように繰り返される。
「咲耶くん・・・・・・」
私は咲耶くんの後姿を見ながら、確認のように名前を呼ぶ。
止めるならば今の内だ。
衛くんを裏切らなくて済む。
君の決意の固さは知っている。
だが、衛くんが君へと抱く想いも同じなんだよ。
固くて、決して崩れる事を知らない。
私には衛くんの想いの方が固く思う。
君は衛くん・・・いや、私達の目の前から去り、彼女の気持ちを放っておくのかい?
決して崩れる事はないのに。
風化するまで待つのかい?
其れに引き換え、君の決意は既に崩れ掛けているじゃないか。
・・・だが私は何も云わなかった。
咲耶くんも何も云わなかった。
ただ、其の肩は震えていた。
無言の悲しみと後悔が其処にあった。





「千影チャマ?」
「ん・・・・・・何だい・・・・・・?」
四葉くんを見ると、心配そうに此方を見つめていた。
「ううん。何でも無いデス」
四葉ちゃんはニッコリと笑い、私の腕と自分の腕を組ませた。
視線を移すと、衛くんはもう先程と同じ場所には居なかった。
まるで夢遊病患者のように、咲耶くんを探しているようだ。
ほぼ共犯であった故、酷く罪悪感を感じる。
話してしまえば、救われるのかな・・・
私は救われるだろう。
だが、咲耶くんは?
衛くんは?
決して救われないとも云い切れないが、救われるとも云い切れない。
私が口出しする権利はない。
私は当人に、咲耶くんに、衛くんに任せる。
「四葉ちゃん」
「何デスか?」
私は数秒無言で四葉ちゃんを見つめる。
愛しい人。
決して放したくない人。
決して離れたくない人。
咲耶くんの決意はどれ程の物だったのだろうか。
彼女の衛くんへの想いよりも強いのだろうか。
分からないが、私は分からなくて良いと思う。
「・・・フフッ・・・・・・何でも無いよ・・・・・・」
私は四葉ちゃんを抱き締めた。
此の娘と自分が一緒に居られるのであれば、私は君でさえ殺せるよ。





「あっ・・・!」
咲耶くんが突然聲を上げる。
そして後ろを振り向き、初めて衛くんを見た。
一瞬、咲耶くんの表情に戸惑い、同じように振り向いた。
衛くんが水溜りへと転んでいた。
其の瞬間を見てはいなかった物の、咲耶くんはそうではなかったのだろう。
決して泪を見せないように振り向かなかったと云うのに、振り向いたんだ。
ミラー越しにずっと衛くんを見つめていたのは明白だ。
ギリッ、と音がする程に咲耶くんは奥歯を噛み締め、前に向き直る。
大きなカーブに差し掛かり、咲耶くんがハンドルを切ると、衛くんの姿は見えなくなった。
・・・数分が経った。
其の間、私も咲耶くんも全くの無言だった。
「・・・私ね・・・」
咲耶くんはゆっくりと口を開いた。
「やっぱり、衛が好き・・・」
そう云った咲耶くんの表情には、照れも喜びも無い。
悲しみとも微笑みとも取れる不思議な表情をしていた。
「・・・其れは・・・・・・私に云うべき言葉じゃないだろう・・・・・・?」
私は思ったように其のまま云う。
今の咲耶くんは私の言葉を待っている。
其れは今まで生きてきて、其の事に関しては自身が持てる。
「うん。分かってる」
また、咲耶くんの肩が震えた。
「分かってるのに・・・」
咲耶くんは車を道の脇に止めた。
「咲耶くん・・・・・・良く我慢したね・・・・・・」
私は後ろから咲耶くんを抱き締める。
其れから、咲耶くんのすすり泣く聲は大きくなった。
やがて慟哭に変わり、咲耶くんは惜しげも無く泪を流した。
次々に頬に伝う泪を指で拭ってあげる。
顔を覗き込むような事はしない。
咲耶くんが嫌がるであろうから。
其れが今私の出来る最上級の事。





「四葉ちゃん・・・・・・君を愛しているよ・・・・・・」
四葉ちゃんの耳が紅く染まるのを見て、私は微笑んだ。
何故彼女は此の倖せを望まなかったのだろうか。
其れはある意味、嘲笑だったのかもしれない。
窓から見える月は蒼かった。





FIN
【あとがき】『蒼い霹靂』の続き。
2003/02/18
蒼い霹靂



「さくねえ」
背中を向けているさくねえの名前を呼ぶ。
返事は無い。
寝ている事を確認し、ベッドに入り込む。
此処はさくねえの部屋。
今の時間は多分、夜中の十二時くらい。
十時くらいにバイトから帰ってきたさくねえは、顔も見せずに自分の部屋に戻ってしまった。
ボクが朝早く学校に向かった所為で、今日一回もさくねえと逢えなかった。
其れが寂しくて、ボクは寝る前にさくねえの様子を見に来たんだ。
さくねえの髪はいつものツインテールじゃなくて、解いてあった。
如何してかは分からないけれど、最近はずっとそうしているみたい。
良い匂いがするのはいつもと同じ。
ボクは此の匂いが大好きで、何時も近くに居て欲しいと思っていた。
三ヶ月くらい前に新しく買った、さくねえのパジャマ。
お揃いで買ったボクのパジャマ。
同じ柄の布を触れ合わせる。
ボクはさくねえを抱き締めた。
細くて柔らかいさくねえ。
ボクは此の感触が大好きで、何時も抱き締めて欲しいと思っていた。
ふと、さくねえが躰を捻った。
「ん・・・衛?」
「あれ、起こしちゃった?」
名前を呼ばれ、ボクはさくねえから少し離れた。
「何してるの・・・?」
ボクの当たり前過ぎる問いには答えず、さくねえは逆に問う。
「眠れなかったから・・・」
ボクは咄嗟の思い付きの云い訳を云った。
だけど、さくねえは疑わなかった。
嘘を吐いた後ろめたさから、何も云えないでいると、さくねえは手招きをした。
「・・・おいで」
モゾモゾとさくねえに近付くと、さくねえはボクを抱き締めてくれた。
「此れなら、眠れそう?」
「うん・・・有難う」
ボクが答えると、さくねえはボクのほっぺをそっと両手で包んだ。
そして、ボクの瞳をジッと見つめた。
さくねえの吐息が顔に当たる。
「・・・さくねえ?」
名前を呼んでも、さくねえはボクを見つめていた。
「恥ずかしいよぅ・・・」
ボクは耐え切れなくなって、瞳を逸らした。
視線を戻すと、また抱き締められた。
でも、今度は直ぐに解放された。
再び瞳が合うと、さくねえは悲しく微笑った。
其の時、さくねえが何を考えていたのか、ボクには分からなかった。
分かれば良かったのにって、思う。





夢。
此れは夢だ。
何となく、雰囲気で分かる。
其の夢には、まるでドラマを見ているように、自分が其処に居た。
ボクは何も出来ない。
空気のように、ただ其処に、居た。
夢の世界は夜だった。
いや、夕方かもしれない。
場所は、ボク達十二人全員が共同で使っている家。
通称、ウェルカムハウス。
もう一人のボクは、其処のさくねえの部屋の前に居た。
何故かとても疲れていて・・・
いや、悲しそうに扉を見つめていた。
暫らくして、四葉ちゃんが現れた。
「そうしてても、何も変わらないデスよ。面と向かって、云いたい事を云わなくちゃ」
ボクにそう云うと、四葉ちゃんはさくねえの部屋のドアノブに手を掛けた。
扉が開く。
其処で、ボクは眠りから覚めた。





起きると、さくねえは居なかった。
たぶん、バイトに行ったんだろう。
・・・つまらないな・・・
ボクは布団から出ると、眠い目を擦り、カーテンを開けた。
「あ・・・雨だ・・・」
窓を開けて手を出してみると、確かに雨は降っていた。
吹き込むといけないので、ボクは窓を閉めた。
クローゼットから着替えを出し、パジャマを脱いで着替える。
ボクの家の、さくねえの部屋のクローゼット。
改めて見ると、不思議な気がする。
ボクとさくねえの服が、一緒に入っているんだ。
でも、ボク達自身最近はなかなか一緒に居られない。
少なくとも、昔と比べると。
溜息を一つ吐き、ボクは部屋を出る。
そして、誰も居ない部屋を振り返ると、扉を閉めて階段を降りた。





リビングの扉を開くと、一枚の紙が目に入った。
近付いて其れを読んだ。
ボクは目を疑った。
そして、咄嗟に祈った。
此れは夢だ。
夢なんだ、と。
・・・其れにはこう書かれていた。
『衛へ ごめんね』
そして。
『さようなら』
其れだけだった。
ボクはすぐさまリビングから出た。
追いかけなきゃ!
ただ、そう思った。
そして、走った。
三秒も通らないのに、誰も居ない廊下がとても嫌だ。
違う。
誰も居ない廊下が嫌なんじゃない。
さくねえが居ない此の家が嫌なんだ。
さくねえに逢いたい。
さくねえ・・・





さくねえが何処に居るかなんて、全然分からない。
そう気付いたのは、家を飛び出して暫らくしてからだった。
傘も持たずに飛び出して。
何処でバイトをしていたのかも、分からない。
如何してバイトを始めようと思ったのかも、分からない。
ボクは何を知っていたんだろう。
何も知らないで、さくねえを好きになったんじゃない筈なのに。
やがて、商店街に出た。
噴水も、公園も、さくねえと行った事のある場所。
思い出のある場所。
好きな場所だった。
でも、雨に濡れた其処には、さくねえは居ない。
ボクが好きなのは此処じゃない。
・・・そうだ、ボクにはあった。
もっと好きな場所。
ボクとさくねえだけの秘密の場所。
其処へ行こう。
そうだ。
ボクはまた、走り出した。





ずっと昔、さくねえと一緒に歩いた道。
其れ以来、一定の周期で一緒に来ていた。
最近はめっきり来なくなっていたけれど。
此の先にある。
ボクとさくねえの場所。
ふと、後ろから車のエンジン音が聞こえた。
ボクは立ち止まった。
雨に濡れるのは嫌じゃなかった。
だけど、止まったら急かされているようで嫌なんだ。
再び走り出した時に、雨が理由になるのが嫌なんだ。
ボクはボクで居たい。
自分の意思で、さくねえを探していたい。
だから今まで、立ち止まらなかったのに、立ち止まった。
何かを感じた。
何かが分かった。
何かは分かる。
だから、ボクは振り返った。
其の瞬間、車の運転席の人と目が合う。
「さくねえ!」
ボクは名前を呼んだ。
さくねえは驚いていた。
其れはボクに気付いた証拠だった。
ボクはさくねえの顔が見れて、安心して思わず微笑った。
だけど、其れはそう長くは続かなかった。
徐々に、怖くなった。
さくねえがボクの横を通り過ぎても、止まってくれないから。
何で、と云う考えはなかなか出て来なかった。
恐怖に押し潰されそうになっていた。
思考が止まる。
そして、何かが弾けるように、ボクは我に返った。
「嫌だ!行かないで!さくねえ!」
ボクは叫んだ。
咽喉が潰れても構わない。
さくねえに傍に居て欲しいから。
冗談よ、って抱き締めて欲しいから。
「さくねえ!!」
ボクは駆け出した。
水溜りの水が跳ねて、靴下を茶色く濡らした。
其れでも、ボクは走った。
今さくねえに云わなければならない。
何処かで思った事を、今思った。
瞬間的に、今朝見た夢を思い出す。
夢の終わりは途切れていた。
一体其の後、どうなったのだろう。
ボクは何であんな表情をしていたんだろう。
今のボクの表情は夢のボクと同じ表情をしているのではないだろうか。
夢の中のボクは、何を伝えようとしていたのだろうか。
ボクは一体、何を伝えようとしているのだろうか。
分からない。
分からない。
でも、もし・・・此れが最後だったら。
夢と同じように。
そう。
ただの別れではなく、夢と同じように、永遠の・・・
・・・嫌だ!!
其の瞬間、視界がガクンと下がった。
まずい。
水溜りに足を滑らせた事に気付いた次の瞬間には、ボクは地面に躰をぶつけてしまっていた。
急に、普段は気にならない雨の音が喧しく聞こえた。
遠くに聞こえる車のエンジンの音。
「さくねえ!・・・さくねえっ!!」
ボクはカーブに消えていく、さくねえを乗せた車に向かって泣き叫ぶ事しか出来なかった。
絶望感。
恐怖感。
虚無感。
全てに心を蝕まれながら。
ボクはただ、さくねえと一緒に居たかっただけなのに。
如何して・・・
如何して、叶わないの・・・?





其れはまるで、青天の霹靂。





FIN
【あとがき】ある小説と別世界の話。分かる人は分かると思います。
2002/02/11
電気人形



此のままではいけない。
おかしくなってしまう。
おかしくしてしまう。
全てを。
壊してしまう。





私は今まで、『当たり前』を理解しながら、『当たり前』に生きてきた。
『当たり前』に生きていたくて、『当たり前』を受け入れてきた。
やがて。
『当たり前』の行為に、『当たり前』でない物が芽生えた。
此れは、恋。
家族を愛する事は許される事。
だけど、恋を通した愛は許されない。





私は、同性を愛する権利なんて要りません。
だから、衛を愛する権利を、ください。
どうか。





「さっ・・・・・・ん・・・」
衛は驚きから、聲を漏らす。
衛の口を、自分の口で塞ぐ。
初めてではないキス。
衛の口唇の間から舌を滑り込ませる。
舌を絡ませ合うキス。
此れは、初めて。
一瞬、衛が弱々しく抵抗した気がしたが、私は構わず抱き締める。
まるで衛が私だけの物になったような感覚。
衛と私以外の物が存在しない世界に居るような感覚。
自己陶酔かもしれない。
白昼夢かもしれない。
だけど私は満たされていた。
今、此の一瞬だけでも。





私は自分の頬に手を当てた。
ヒリヒリと、痒みに似た痛みを感じる。
頬を叩かれたのは初めて。
衛の、泣きながら逃げる姿を見るのは初めてではない。
逃げる衛を追いかけなかったのは初めて。
追いかけようと思ったのは初めてではない。
気持ちと躰が平行しないのは初めて。
気持ちが躰よりも先を行く事は初めてではない。
衛を愛したのは初めて。
衛を愛したいと思ったのは初めてではない。
衛を傷付けたのは初めて。
衛を手に入れたいと思ったのは初めてではない。
衛、衛、衛・・・





FIN...?
【あとがき】『電波の暮らし』に続くか『禁じられた契約』に続くか。続かないかもしれません。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送