think about






蜜柑色の薄いカーテンが、外からくる風になびく。
朝から昼に変わる時間帯。
純白の壁に囲まれた部屋に、可憐と、可憐のお姉ちゃんである咲耶ちゃんは居る。
咲耶ちゃんは可憐のベッドに腰を下ろし、足を組んで手に持った紙と可憐に交互に視線を移していた。
可憐は細く小さな指を白と黒の鍵盤の上を滑るように踊らせている。
そして其のダンスに合わせて音楽が奏でられる。
ペダルを踏む音が、まるで息をハッと吸い込む時の音にも聞こえる。

「そこ、リズム違うわよ」
「えっ?」

ダンスは止まり、それに合わせて音楽は止まった。
やってしまったと云う気持ちが込み上げてくる。
其れは今日、今の時間までで四度目だ。

「ご、ごめんなさい、咲耶ちゃん・・・」

可憐はピアノの椅子に座ったまま方向を180度回転して、咲耶ちゃんの方を向く。
咲耶ちゃんの手には、先刻可憐の弾いていた曲の楽譜が握られている。
そこに咲耶ちゃんはピンクのラインマーカーで線を引いた。

「いえ・・・別に謝らなくて良いの。其処だけなら出来るんですもの。慣れれば全部通して出来るわよ」
「・・・うん」

可憐はもう一度ピアノに向き合う。

「ここ、気を付けてね」

そう云いながら、咲耶ちゃんは持っていた楽譜を可憐に差し出す。
可憐は上半身だけを捻り、それを受け取ってラインの付けられたところを見る。

『次は頑張って』

最後にハートマークを付けて、そう書かれていた。
可憐は何も云わずに、咲耶ちゃんににそれを返す。
そして、頑張らなくちゃ、と心の中で自分へ云い聞かせながらピアノの上に両手を構える。
スゥッ、と息を吸い、吐く。
それを合図に、曲が再開される。
楽譜を二枚分引き終えた後、三小節目のメッゾフォルテの速いテンポからメッゾピアノのゆったりとした綺麗な旋律に変わる場所。
―――――弾けた。
しかし、その直後のまたメッゾフォルテに戻るところで音を外してしまった。

「「あっ・・・」」

可憐と咲耶の声が重なる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

暫らくの間、静寂が二人を包み込む。
その沈黙を可憐は云い訳じみた呟きで破った。

「メトロノーム壊れちゃってるからかな・・・」

そう云った後、可憐は咲耶ちゃんに怒られると思ったけど、意に反して咲耶ちゃんは何も云わなかった。
確かに、そうなんだ。
リズムが合わない。
メトロノームは暫らく使っていなく、気が付けば壊れていた。
いつごろからかも、記憶にも無い。
そして、原曲を聴いても出来ない程、此の曲は難しい。
そもそも、ピアノの先生が大幅なレベルアップの為に、と一ヶ月前に出してきた、云わば賭けのような物だった。
此の曲が出来なくても大丈夫なように、少し簡単な曲も覚えている。
でも・・・

「ちょっと・・・気分転換に出掛けようか?」

考え込んでいた可憐に、咲耶ちゃんは誘いを掛けた。

「・・・うん」

可憐は先程から自分が、うん、しか云って無いような気がする・・・
肯定の返事をしたわりには、その事柄を上手く出来ていない自分の不甲斐なさを責める。

「もうすぐお昼だから・・・『GreenChristmas』で昼食〜・・・なんて良いわね」

咲耶ちゃんが、壁に掛けてある真っ白な壁に溶けそうな薄い桃色の時計を見上げながら云う。
其の笑顔が、心に染みた。





咲耶ちゃんに手を引かれながら、可憐は家の外に出る。
外は少し肌寒く、身震いをしたら咲耶ちゃんは再び家の中に入っていった。。
何も云わずに取りに行ってしまったので、驚いている内に咲耶ちゃんは帰って来る。

「寒いんでしょ?ほら、どうぞ」

そう云われ、手渡された物は茶色のコートだった。
間違いなく可憐の物。


それよりも、今は咲耶ちゃんの貴重な日曜日を自分の為に消費してしまっている事が気掛かりだった。

「可憐ちゃん、ファーストフードと喫茶店、何方が良い?」

咲耶ちゃんが歩き出しながら、可憐に訊いて来た。
先刻は『GreenChristmas』と、具体的な店名を挙げていたが、一応可憐の意見も訊いてきてくれる辺りが、嬉しい。

「可憐は・・・喫茶店が良いな」

可憐は咲耶ちゃんの後を、歩幅の差を埋めるように少し駆け足で追いかけるように歩き出す。
そして、先刻の自分の発言に対して、私は「しまった」と思った。
【内容】ではなく【名詞】のところのみだ。
咲耶ちゃんは可憐が・・・私が、自分の事を「可憐」と云っているのが気に入らないらしく・・・
ううん、云い方が悪かったかな?
未だに子供っぽく自分の事を名前で呼んでいるから、と大人の女性になれるようにアドバイスをしてくれた。
だから出来る限り発言の際は「私」と云うようにしている。
それでも、咄嗟の返事だと如何しても云いなれていた方が出てきてしまう。
けれど、咲耶ちゃんはほんの一瞬足を止めただけで、また何事も無かったかのように歩き出した。
・・・そう云えば、咲耶ちゃんも昔は一人称が「さくや」だったよね・・・?
心の中で、思い出の咲耶ちゃんに問う。
何故か、可憐は微笑った。
覚えていた事の誇らしさに。

「如何したの?」

一人で笑顔を作っていた可憐に、咲耶ちゃんは振り向いて訊いた。

「ううん・・・何でもないよ」

まだ微笑みを消さない私につられたのか、咲耶ちゃんも微笑った。
綺麗、だった。
何時も、其れに憧れていた。
其れが今、目の前にある。
また、微笑った。
そして、学校の事、友達の事、勉強の事、それに他の姉妹の事を話しながら可憐達は喫茶店へと向かう。
其の間、咲耶ちゃんは何度も腕時計を見て時間を気にしていたような気がした。





「ねえ、咲耶ちゃん。もしかして、誰かと何処かに行く約束してる?」

喫茶店に入り、席についてメニューを眺めながら、可憐は疑問に思った事を訊いた。
咲耶ちゃんはメニューから顔を上げる。
すぐに笑顔になったけど、少し驚いていたようだった。

「如何して・・・そう思うの?」

「え?・・・だって、咲耶ちゃん先刻から何度も時計を見てるから・・・」

咲耶ちゃんはハァ・・・と息を吐いた。
そして、微妙に考えた後、苦笑いと純粋に嬉しそうな表情の狭間のような複雑な笑みを見せる。

「・・・相変わらずね。昔から私の事良く見てる・・・・・・・・・ええ、そうね・・・午後の一時から」

可憐は腕時計を着けて来ていなかったので、喫茶店の壁に掛けてある時計に目を移した。
十二時八分。

「あと五十分くらいしかないよ?」

「少し食べていく位なら、充分よ」

「じゃあ、急いで注文決めないといけないよね」

私は再び視線をメニューに移した。

「・・・別に・・・いえ、そうね」

咲耶ちゃんは少し躊躇った後、そう云った。
たぶん「焦らなくても大丈夫よ」って云おうとしたんだと思う。
咲耶ちゃんはあまり人の行動に介入したがらないから。
でも、時間が無いのは咲耶ちゃんも分かっているから同意した。
可憐は、多分そうだ、と思った。





「可憐ちゃんは最近何か有った?」

「・・・え?」

注文をし終えた後の咲耶ちゃんの唐突な質問に私は一瞬戸惑う。

「・・・如何して?」

「その・・・ピアノの方、上手く行ってないみたいだし・・・」

咲耶ちゃんは云い難そうに、可憐の目から視線を逸らして云った。
最近・・・か。
最近は別に変わった事は無かった。
学校でも変化が起こったわけでもない。
ただ・・・

「前から好きだった人が、今になって気になってる・・・かな・・・」

咲耶ちゃんは驚いた顔をして可憐の顔を見つめる。
おそらく今、自分の顔は赤くなっているだろうと思った。

「・・・・・・・・・そう」

咲耶ちゃんはテーブルに頬杖をついて目を逸らした。
瞳を逸らしたように見えたけど、たぶん気の所為。
・・・たぶん・・・・・・

「アイスティー二つ、お持ち致しました」

丁度其の時、ウエイトレスさんがアイスティーを二つ持って来て、可憐達の座っているテーブルに置いて行った。

「・・・ねえ、咲耶ちゃん。咲耶ちゃんは誰と待ち合わせしてるの?」

「秘密よ」

咲耶ちゃんはアイスティーを飲みながら、また時計を見た。
可憐はアイスティーにミルクとガムシロップをコップ内に流し込む。
そして、ふと思い付いた人物の名前を口にする。

「もしかして、まもちゃん?」

咲耶ちゃんは咽た。
何度か咳き込む。

「え、あっ、当たり?・・・じゃなくて、大丈夫?」

咲耶ちゃんは暫らく止まっていたが、その後に二回頷いた。

「ど、如何してそう思ったの・・・?」

少し涙目になりながら、咲耶ちゃんは改めてアイスティーを喉に通す。

「え・・・・・・・・・勘、だけど・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

咲耶ちゃんは、ゆっくりとアイスティーを飲み続ける。
暫らく沈黙が続いた。
先刻と同じウエイトレスがテーブルにスパゲティを一つずつ置いて行った。

「デート?」

「ちっ、違うわよ!」

咲耶ちゃんはハッとして、口を抑えて周りを見回した。
混み始めて来たレストラン内では其の聲が聞こえた人は殆ど居ないらしかった。
咲耶ちゃんが胸を撫で下ろしている中、咲耶ちゃんの後ろの席に座っている男の人が訝しげな顔をしていたのが見えた。
それよりも、何故そんなに必死になって否定するのかが気になった。

「・・・・・・まもが・・・あ、いや・・・衛ちゃんが、ショッピング街で買いたい物が有るから・・・付き合って、って云ってきたのよ」

咲耶ちゃんはそう付け加える。
何故か可憐に伝える時、随分考えていた様な気がした。
浮かんだ疑問を嫌悪する自分が嫌だと気付く。
可憐は、衛ちゃんの行きたいところって、やっぱりスポーツ関係のお店なのかなぁ、と思った。
そして羨ましいとも思う。
其処で、二人とも料理を口にし始め、暫らく会話は途絶えた。





食事中に話をするのは、お行儀が悪いと注意されてしまうので、結局最後まで静かに食べ終える。
そして、可憐はやっと、先刻の会話で途切れてしまい、気になっていた話題への疑問を訊く。

「約束は・・・何時からしていたの?」

「そうね・・・一週間前だと思うけど・・・」

其の言葉に、針を刺されたように胸が痛んだ。
可憐がピアノの練習に付き合って欲しいと云ったのは、昨日の夜だった。
後から約束した可憐が前々から約束していたまもちゃんよりも前に咲耶ちゃんを独占してしまって良いのだろうか?
独占するって云うのは云い過ぎかも知れない・・・
兎に角、小さい頃から憧れていた咲耶ちゃんには・・・迷惑を掛けるなんて・・・それだけはしたくなかった。

「もしかして私、迷惑・・・かな?」

其れを訊くのは悲しかったが、それでも可憐は訊いてみる事にした。

「そ、そんな事無いわよ!」

咲耶ちゃんがまた大きな聲を出したので、私は少し驚いた。

すると咲耶ちゃんは、あ、と小さく聲を漏らす。

「ごめんなさい・・・そんな事無いから、安心して?」

「・・・うん」

焦ったように謝る咲耶ちゃんに、可憐はまた尊敬を憶えた。
だけど疑問も増えた。
もっとお話をしていたいなぁ・・・
そうぼんやりと考えながら、そして可憐は殆ど無意識に喫茶店の時計に目を移す。

「あ・・・・・・」

時計に視線を向けた瞬間、聲が意思とは全く関係なく出た。

「・・・如何したの?」

可憐はその聲に返事をする為に咲耶ちゃんの方を振り向くと、咲耶ちゃんの口唇が目の前にあった。
咲耶ちゃんが上半身をテーブルへ乗り出していたのだ。
吐息が掛かるような距離、もう少しで・・・其の・・・キスを、してしまう所だ。
可憐は開いた口を閉じられなくなっていた。
咲耶ちゃんは顔を赤くし、気まずそうに、それでも私の目を見つめている。
可憐は目を伏せないようにしながら、咲耶ちゃんの瞳を見つめ返す。
照れた咲耶ちゃんの表情はとても可愛かった。
胸が熱くなるのを感じる。
照れとは違う感覚。
感情。
何故?
何故現れたの?
分からない。
でも、原因は分かる。
原因は目の前の女の子。
そして・・・自分自身。
暫らく時が止まっていたように・・・感じた。
でも時が止まる事なんて無い。
其れこそ、永遠に・・・

「あ、あの・・・・・・」

「な、なぁに?」

あくまで冷静を装っているように咲耶ちゃんは返事をしたつもりだったのかもしれないけど、聲が上擦っていた。

「時間・・・今、一時・・・」

「・・・・・・えっ・・・?」

咲耶ちゃんが顔を腕時計に移した。
顔が離れたので、少しホッとする。
先程までは嬉しく思っていた状況だったのに・・・
ううん、確かに嬉しかったよ。
ただ安心したんだけ。
そう、多分。

「あ、あの・・・じゃ、じゃあ、私もう行くね。あ、お金は此処に置いていくから」

咲耶ちゃんはそう云うと、バッグを肩に掛け、テーブル上に二千円を置いてから席を立ってレストランを出て行った。
一人になると、周りの雑音が近くに聞こえる。
可憐はテーブルの上に置かれて行った千円札二枚を見つめながら、まだ早鐘のようになっている鼓動を何とか落ち着かせようとする。
頬に手を当てると、熱くなっていた。
それ以降の行動を考えられる冷静さは今の自分には残っていなかった。
ただ・・・
ずっと憧れていた咲耶ちゃんも私と同じ。
同じ。
そう・・・同じ。
何が?
何が同じ?
・・・分からない。
分からない?
分かっているんじゃないの?
やっぱり・・・分からない。





咲耶ちゃんがレストランを出て行ってから丁度10分後、可憐は溜息と共に席から立った。
可憐は机の上に置かれた千円札二枚をお財布にしまうと、其れと交互に他の千円札を二枚出す。
元々、咲耶ちゃんに奢らせるつもりは無かったから、家に帰ったら其れを返そう、と考えていた。
可憐は喫茶店を出た。

「あっ、可憐ちゃん!」

レストランのドアが背後で完全に閉まるのと同時に声を掛けられた。
花穂ちゃんだ。
学校の制服を着ていたので、チアリーディングの練習帰りと云った所だろう。
休みの日なのに大変そうだなぁ、なんて、他人事のように思った。

「可憐ちゃん何してたの?」

「あっ、可憐はお昼ご飯を食べてました」

「あ〜、良いなぁ。花穂もお腹空いちゃったよぉ」

花穂ちゃんは、エヘヘと笑う。
相変わらず可愛いな、って思った。
花穂ちゃんの笑顔に、私は元気が出る。
其れは多分、其れが花穂ちゃんの良い所なのだろう。
可憐には其れは無い。
なら、何があるんだろう・・・

「花穂ちゃんはチアリーディングをやって来たの?」

「えっ、花穂?うんっ、花穂はチア部の練習してきたんだ!」

やっぱり、そうだった。
可憐がピアノを好きなのと同じように、花穂ちゃんにはチアリーディングというモノがある。
花穂ちゃんは其れの練習の前後、他の部の大会の日など、チアリーディングに関係する事があると、いつもにも増して元気だ。
けど、其の切っ掛けが知りたかった。
可憐がピアノを始めた理由は、もう憶えていないから。

「ねえ花穂ちゃんは如何してチアリーディング部に入ったの?」

「えっ・・・其れは・・・・・・好きな人を応援する為だよ」

花穂ちゃんは顔を真っ赤にさせながらそう云った。
何となく、此方まで恥ずかしくなってしまう程、純粋に照れている。
未だ相手に気持ちを伝えていないんだろう。
あまりに初々しくて、微笑ましい。

「そっか・・・」

でも、頷いた直後、良く考えたら先刻までの自分も大して変わらないように思った。
そう云えば、まだ伝えて無かったんだな・・・此の気持ち。

「ねえ、可憐ちゃん。この後如何するの?」

「え?家に帰るけど・・・」

「そっか、じゃあ一緒に帰っても良い?」

何と云うか・・・態々そんな事を訊いてくるこの娘は、なんて健気なんだろう。
人に気を使い、明るく、相手を励ませるように、相手に必要とされるように頑張っている。
この娘に好かれている人は、なんて倖せなんだろう。

「うん。一緒に帰ろっか」

「あはぁっ、花穂嬉しいなぁ」

花穂ちゃんの微笑った顔は可愛くて、私にとっては必要な人となっている。
勿論、咲耶ちゃんが一番だけど・・・

「花穂ね、何時か可憐ちゃんの役に立ちたいって思ってるんだよ」

其れは唐突だった。
だから、聞き取れなかった。
意味を、感じ取れなかった。

「・・・え?」

思わず訊き返す

「うん・・・・・・だから、チアリーディングをやってるんだよ」

・・・えっ?
私は花穂ちゃんの方を向いた。
花穂ちゃんは正面を向いたままだったから、髪の毛に隠れて表情は見えなかった。
其れって・・・
だ、だって、先刻・・・好きな人を応援する為に・・・って・・・
其れを訊き返す事はしてはいけない事だと思った。
・・・気持ちは嬉しいけど・・・意味は分かるけど・・・でも・・・応えられないから・・・
花穂ちゃんの聲は少し震えていた。
でも・・・多分、表情は笑っている。
何時もと変わらずに・・・笑っているんだろう。
ゴメンナサイ・・・
私は花穂ちゃんに聞こえないように呟いた。

「あ、可憐ちゃん、花穂ちゃん!」

私は元気な訊きなれた其の聲に顔を上げた。
何時の間にか自分が俯いていた事に私は初めて気付く。
そして、驚愕した。
視界内の光景を認識するのが数秒に感じる。
おそらく実際には一瞬なのだろう。

「ま、まもちゃん!?」

其処居たのは、先刻別れた咲耶ちゃんと待ち合わせをしていた筈のまもちゃんだった。
可憐は即座に浮かんできた疑問を口にしていた。

「こんにちは、まもちゃん」

花穂ちゃんは何時もと同じ表情で、人懐っこそうにまもちゃんに抱き付いた。
そんな花穂ちゃんにとじゃれるようにまもちゃんは頭を撫でる。
嬉しそうに。
羨ましい。
でも、今は其れよりも・・・

「あ、あの・・・まもちゃん・・・咲耶ちゃんは・・・?」

疑問符ばかりを用いたくなるところを、一つだけで纏める。
まもちゃんは花穂ちゃんの頭を撫でながら、キョトンとした表情になった。
何も知らない、とでも云うように。

「え?さくね・・・ぇ、じゃなくて・・・咲耶ちゃん?咲耶ちゃんなら先刻見たよ」

「えっ?ど、何処で!?」

思わず大きな聲を出してしまった。
そして、まもちゃんと花穂ちゃんの驚いている表情を見て、少し恥ずかしくなる。

「ショッピングモールの辺り・・・だけど・・・如何したの?」

まもちゃんは、苦笑しながら云う。
けど、重要な会話の内容が全く噛みあわない。
いや、真実でないのは、自分の方なのだろう。
まもちゃんが嘘を吐いているとは思えない。
勿論、自分も同じだ。
でも・・・そしたら咲耶ちゃんが・・・?

「え・・・えぇっと・・・・・・」

思考が混乱する。
そもそも、何をすれば良いのか以前に、何が正しいのかが分からない。
でも、気付けば口はこう云い、駆け出していた。

「聲は掛けなかったの・・・?」

恐る恐る問う。
だって大体確信している。
だから・・・
だけど・・・?

「え?何でさ・・・?」

まもちゃんは珍しく眉を顰め、怪訝そうにする。
一瞬、恐怖を感じた。

「だ、だって・・・約束してたんじゃ・・・?」

「約束?してる訳ないじゃない。だってボクこれから・・・」

何かを云い掛け、まもちゃんは首を振って其れを消す。
其の時の表情の意味を分かるのは、多分此の世には一人しか居ないのかもしれない。

「ごめん、今は云えない。でも、兎に角ボクは咲耶ちゃんと約束なんかしてないよ」

まもちゃんはハッキリと云い切る。
完全に、嘘を吐いていないと云う事が分かった。

「そ・・・っか・・・」

可憐は悲しそうな顔をしてしまったのかもしれない。
花穂ちゃんが心配そうな顔をしているのが見えた。
可憐は即座に微笑みを作る。
ただ、花穂ちゃんの為だけに。
其れは先程の事に対する償いかもしれない。
ゴメンナサイ・・・本当に・・・
其の言葉はもう一度・・・いや、何度も心の中で反響した。
そして其れはやりきれない今の感情に重なった。

「あっ!可憐ちゃん!」

可憐は、駆け出す。
感情だけに流されて。
何で?
訊きたいから。
何を?
如何して嘘を吐いたか。
本当に其れだけ?
分からない。
伝えないの?
何を?
分かっているでしょ?
でも、否定されたら?
今、花穂ちゃんの其れを否定したのに?
・・・考えたくない。
怖い。
胸が痛い。
苦しい。
でも・・・自分自身の為だけに訊きたい。
伝えたい。
だから。





全力で走って数分。
ショッピングモールの入口のアーチを潜り、辺りを見回す。
息が切れている。
苦しい。
でも、精神的な物の方が、比べ物にならないくらい苦しかった。

「ちょ、ちょっと、可憐ちゃん!」

呼ばれて振り返ると、まもちゃんが息を切らして此方へ向かって来ていた。
其の横には、危なっかしい足元をした花穂ちゃんも居る。
二人がついて来ていた事に全く気が付かなかった。

「如何したのぉ・・・?」

少し泪目になっている花穂ちゃんに対して、先程の罪悪感が更に上乗せされ、可憐は全部話した。

「でもさ・・・如何してそんなに咲耶ちゃんを気にしてるの?」

衛ちゃんが、ちょっと気になった程度の軽い気持ちで問う。
言葉を暫らく失い、最善の答えを思考する。
云わなきゃダメかな・・・
でも・・・

「ごめんなさい・・・其れは後で、必ず話すね。だからお願い・・・咲耶ちゃんを一緒に探して欲しいの」

可憐がそう云うと、二人は顔を見合わせ、そして・・・

「うんっ、良いよ。可憐ちゃんのお願いだもんね!」
「勿論だよ。だってボク達家族じゃないか!」

可憐のお願いを、二人は快く受けてくれた。

「ありがとう・・・」

嬉しい。
だけど、家族と云う単語に、少しだけ・・・ほんの少しだけ・・・胸が痛んだ。
家族。
姉妹。
大切な物。
嬉しい事。
でも、悲しい事。
だから、不必要な物。

「じゃあ、見つけても見つからなくても、此処に集合しよっか。時間は?」

まもちゃんが持ち前の行動力で場を仕切る。

「じゃあ・・・十分後」

短く答える。
其れにまもちゃんも、花穂ちゃんも、頷いた。

「じゃあ、可憐は洋服店の通りを探すね」

可憐は頷き返しながら、右の通りを指差す。

「可憐ちゃんの為に、絶対に見つけるからね」

耳に聞こえた、花穂ちゃんの言葉。
聞こえなかったフリをして、其のまま背を向けて小走りで咲耶ちゃんを探し始めた。
歯を、痛くなるほど食いしばり、爪が食い込むほど、手を握った。





見つけるなら、自分一人での方が良いと思ったから、可憐は、と云った。
最初は其のつもりだったわけだし・・・
二人が手伝ってくれることになったのはとても有難く思っている。
でも、ただ一人になりたかった。
咲耶ちゃんと逢った時、誰かと二人でいて変な誤解を招かれたくない、と云うのもある。
人を真実とは違って思い込むのはとても簡単な事だと思う。
逆に、真実を見つめる方が難しいのかもしれない。
現に、私は花穂ちゃんの事を誤解していた。
・・・真実?
真実って・・・何?
誰かが問う。
可憐は咲耶ちゃんの事を如何思っている?
其れは・・・・・・其れは?
可憐は咲耶ちゃんを・・・大好きだと・・・思っている。
ただの家族愛じゃないの?憧れているだけなんじゃないの?
他の妹にも好かれている咲耶ちゃんが羨ましいだけなんじゃないの?
姉じゃなかったら、咲耶ちゃんの事を好きになんかならなかったんじゃないの?
そ、其れは・・・分からない。
ほら、じゃあ其れは真実じゃないんじゃ・・・違う!違う違う違う!
嘘なんかじゃない!偽りでもない!そんなんじゃ・・・絶対にない!
家族なら花穂ちゃんだってそうな筈・・・
花穂ちゃんと咲耶ちゃんでは、一体何処が違うの・・・?
自分の気持ちも肯定出来ない可憐が分かる訳が、ない。
違う・・・可憐は咲耶ちゃんだけを・・・
咲耶ちゃんを探している筈なのに、可憐は周りを見もせずに通りを真っ直ぐ走っていた。
大体、分かっていた。
此処には居ない、と。
だって居る理由が無い。
咲耶ちゃんが可憐に嘘を吐いてまで、洋服を見ている訳が無い。
自意識過剰かもしれない。
でも、可憐達はずっと一緒に居たから分かる。
じゃあ・・・何処に居るの?
可憐はやっと、足を止める。
可憐も、咲耶ちゃんも何も変わっていない。
嘘を吐かれるような何かをした覚えも無い。
なら、其れ以外に変わった事。
変わった事。
昔とは状態が違った物。
期間は今日の朝から、現在まで。
其の間に変化した物じゃないかもしれない。
其の間に気が付いた物。
壊れていた物。
今日、気付いた物。
可憐が咲耶ちゃんに気付かせた物。
昼に。
可憐の部屋で。
ピアノ。
其の、上・・・
・・・・・・・・・・・・・・・!
「・・・メトロノーム!」
可憐は振り返り、まもちゃんと花穂ちゃんが探してくれている、趣味の域の道具等を扱った通りに向けて、走り出した。
目的地は、ピアノからギターや楽譜等の音楽関連の物を扱っている、可憐の良くお世話になる、あのお店。
其処に咲耶ちゃんが居ると思ったのは、ほぼ確信だった。
理由は無い。
ただの直感。
でも分かる。
血が繋がっているから。
そう・・・家族、だから。





可憐は、歓喜を抱き締めている内に其のお店が見えてきた。
其の前には丁度まもちゃんと花穂ちゃんが歩いていた。
丁度お店の硝子の向こうに咲耶ちゃんを見つけたのか、花穂ちゃんが聲を出しそうになっていた。
まもちゃんが驚いた顔をし、花穂ちゃんの口を抑えようとする。

「あ、さく・・・っ」
「花穂ちゃん!」

まもちゃんが花穂ちゃんを制止するよりも早く、可憐は花穂ちゃんの名前を呼んだ。
咲耶ちゃんには聞こえないように。
すると花穂ちゃんはビクッ、と怯えたように聲を止め、此方を見てくる。
まもちゃんも此方に視線を移しながら、念の為と云ったように、花穂ちゃんを抑えた。
傍から見れば、まるで抱き締めているかのようだ。

「咲耶ちゃん、居たよ」

まもちゃんが小声で囁くように云う。
花穂ちゃんも、嬉しそうに微笑む。

「うん・・・ありがとう・・・」

可憐は荒い息の合間に、頷き、お礼を云う。

「でも、如何して分かったの?可憐ちゃん、向こう側に行ってたんじゃ・・・」

花穂ちゃんが不思議そうに問う。
理由・・・?
咲耶ちゃんの事だから・・・だからこそ、可憐には分かった。
そんな事、とてもじゃないけど云えない。
其処まで自分を高くは見ていない。
だけど、其れが、理由。

「・・・其れも、後で話すね。だから・・・」
「うん。じゃあ、ボク達は・・・帰るよ。じゃあね」
「じゃあね」

二人は手を振り、可憐に背を向けていった。
可憐は其の背中を見送る。
後で、か・・・
後に色々溜まっちゃってるな。
私の気持ち。
花穂ちゃんの気持ち。
咲耶ちゃんの気持ち。
聞きたい。
伝えたい。
知りたい。
其の時、後ろからチリン、と鈴の音が鳴った。
其れは直ぐ其処の音楽専門店のドアに付いた鈴の音。

「か、可憐ちゃん・・・?」

聞き憶えのある聲。
当たり前だよね。
ずっと一緒に居たんだから。
ずっと見つめてきたんだから。
ずっと憧れだったんだから。
ずっと、ずっと・・・可憐は此の人が大好きだから。

「咲耶ちゃん。嘘吐くなんて酷いよ」

可憐が投げ付けるようにそう云うと、咲耶ちゃんはハッとし、困った表情になった。
そんな咲耶ちゃんに可憐は微笑み掛ける。

「ご、ごめんなさい・・・で、でも・・・」
「嘘吐いたって、すぐ分かっちゃうよ」
「・・・え?」

謝り掛けていた咲耶ちゃんは其れを遮られ、そして其の遮った言葉の意味が理解出来ないのか、キョトンとした。
だから、だから・・・
だから気が付かなかった。
昔と同じだと思っていた。
でも、違った。
自分自身が、違った。

「可憐は・・・咲耶ちゃんの事、大好きだから・・・すぐ・・・分かっちゃうよ」

何だろう・・・?
気持ちを伝えたのに。
スッキリしなければならない筈なのに。
嬉しい筈なのに。
聲が震える。

「ど、如何したの?突然・・・」

咲耶ちゃんも咲耶ちゃんで、困惑していた。
当たり前だ。
可憐だって分かっていない。
今の状況が。
咲耶ちゃんが嘘を吐いて、可憐が見つけ出して、気持ちを伝えた。
簡単な其れは、精神的には複雑に絡んでいる。
可憐が可憐の気持ちを見つけ出すのですら、時間が掛かったのに。
理解して貰おうだなんて、調子が良すぎるよね?

「か、可憐は・・・咲耶ちゃんが・・・大好きだよ」

もう一度、確かめるように云う。
誰に?
自分自身に。
やっと意味が通じたのか、咲耶ちゃんは言葉に迷い、聲を出し掛けては止めるを何度も繰り返し、口をパクパクさせていた。
可憐は待った。
可憐の今の気持ちと同じ物が、咲耶ちゃんの中では何処を向いているのかを聞きだせるのを。
沈黙。
そして・・・

「私は・・・いえ、私も・・・可憐ちゃんが好きよ」

優しく微笑み、諦めにも似た表情で可憐の最も望んでいた言葉をくれた。

「な、何て云ったら良いのか分からないけれど・・・家族とか、そう云うんじゃなくて・・・」

「・・・やっぱり、そう思うよね。でも、もう分かってるから・・・可憐も、考えたから」

愛の違いが。

「ありがとう」

何故か、お礼を、云った。





可憐達は公園に居る。
ブランコに二人並んで座りながら。

「如何して・・・嘘吐いたの?」

可憐は改めて問う。
今更如何と云う事は無いのかもしれないが、其れでも気になった。

「実は・・・可憐ちゃんのメトロノーム壊したの、私なのよね・・・だから、罪滅ぼし」

半分呟くように、咲耶ちゃんは云った。
ああ、なるほど。
可憐は考えても居なかった筈なのに、逆に納得さえした。
此れで全部が合う。
可憐の両手に抱かれた真新しい、まだ箱に入っているメトロノームの存在も。

「・・・何時からだった?」
「え?」

咲耶ちゃんの主語の無い問いを、訊き返す。

「何時から・・・私の事、好きだった?」
「・・・分からない」

可憐は少し情けなさを感じながら、そう答えると、咲耶ちゃんは空を見つめ、溜息を吐いた。

「やっぱり、可憐ちゃんもそうだったのね・・・・・・私も分からないの、本当はね」

視線が空から可憐に移る。
細められた紫の瞳は、可憐の胸を急速に熱くさせた。
鼓動が大きくなる。
頬が・・・いや、顔全体が熱い。
咲耶ちゃんの右手が、可憐の頬に添えられる。

「もしかしたら、私達の関係ってずっと変わらないかもしれないけど・・・今だけ、恋人になっても良い・・・かな?」

変わらない関係。
家族、姉妹、と云う事だ。
でも。
可憐は其れでも構わない。
倖せだと思えるから。
家族でも、愛し合っているのだから。
分かり合っているのだから。
可憐はそっと目を瞑る。

「・・・うん」

頷いてから一秒、間があった。
そして、次の瞬間には、瞼の向こう側が暗くなる。
今だけ。
今だけの恋人。
夢だよ。
夢だったよ。
咲耶ちゃんと恋人になる事。
だから、可憐は、今、夢を、見たよ。





FIN


400HITを踏んでくださったオロチさんのリクエスト、咲耶×可憐小説です。
一度は数話に分けて連載していた物を纏めました。
完結が遅くなってしまってすいません。
時代はWカップだと云うのに、テレビも見ないで小説を書く自分が居ましたよ・・・
其れにしては最後の方の展開が急すぎですよね。改善の余地アリですね。
2002/06/09 【最終更新:2002/06/09】

     

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送