夢遊病














私は鏡を見つめる。



鏡に映った女の子は酷く疲れた顔をしていて、その口元には自嘲的な笑みを含んでいた。




















『はっ・・・離して・・・』





抱き寄せて躰に触れた私に、怯えたように衛は云い放った。




















私と衛は正真正銘の姉妹。



衛の憶えていない、彼女の生まれて直ぐの姿すらも私は見ていた。



いつの間にか、彼女の全てを知っていた気になっていたのだろうか?



それとも、一定の距離を保ちながら平行線で展開する衛との関係に歯痒さを憶えていたのだろうか?



どちらにしても、私が愚かだった。



衛の精神が不安定になっているのに気が付かなかった。



私も、不安定になっていたんだ。



其れはただの・・・云い訳。



現実は其の行動を起こした所為で費やした時間の殆どが無に帰したのだから。



眩暈がしそうな程、多い時間。



憶えているのは衛との出来事だけ。



そして、私は塵箱に塵を投げ捨てるかのように、それ等を壊した。



その行動を当たり前だと思ってしまった自分を呪いたくなる。




















もう、全てが如何でも良い。



伸ばした手は何も掴まず、逆に掴んでいた物を失った。



まるで、昔に見た童話にあった憐れな犬の話のようだ。



あの時、あのまま行動すれば良かった。



遠い昔の思い出。



あの時は、今とは違う。



今が、あの時とは違う。



私は名前の思い出せない誰かの残した、透明な液体の入った瓶を手に取る。



その瓶の木で出来たコルクのような栓を外し、液体を口の中に注ぎ込んだ。



瞬間的に鋭い激痛と熱さが舌に走る。



吐き出そうとする本能を抑え、口を両手で塞ぐ。



手の平にも、痛みと熱を感じる。



右手の平を見てみれば、真っ赤だった。



血と、肉。



微かな煙に紛れて、白い物が見える。



これは、何だろう。



普通じゃ理解出来ない。



自分の其れを見れる事など無いから。



異常な今。



其れでも、理解出来なかった。



・・・やがて、其れは口内から食道を流れ、全身へと広がっていく。



舌は既に溶け切り、歯すらも歯茎と共に液体の中に混ざる。



最初は苦悶の聲が漏れていたが、やがて空気が外に出ていく、ヒューヒュー、と口笛のような音しか出なくなる。



聲を失い、呼吸も出来なくなった。



神経の一つ一つが機能出来なくなるにつれて、躰の自由が奪われていく。



発狂しそうな痛みや、躰が動かなくなっていく中でも、不思議と私の精神は安定していた。



私に相応しい、罰。



鏡に映る血塗れになっていく自分の姿を見続けながら、瓶に残った液体を顔に掛ける。



まだ私は視覚を持っていた。



だから。



焼けた石に水を掛けたような、ジュッ、と云う音が無音の室内に虚しく響く。



私は泪を流していた。



赫い、泪。



そして何時の間にか、私は聲にならない聲である言葉を放っていた。


いや、放とうとしていた。





『・・・・・・まもる・・・』



薄れ逝く思考の中に、其の名前の持ち主の聲が聞こえて来たような・・・気がした。






























































そして・・・私は鼓動を止めた。

























































































公園の常夜灯がボクの惨めな愚かさを全て曝け出させていた。



そんな常夜灯のように、何時でもボクの事を見守ってくれたさくねえをボクは突き放した。




















『如何して・・・?』





さくねえは絶望したような、失望したような表情でボクから視線を逸らした。




















次の日にボクがさくねえの部屋で見たのは、血の水溜りに倒れている服を真っ赤に染めたさくねえの姿だった。



扉に背を向けていたので最初は気付かなかったが、顔の皮膚は焼け爛れ、本来なら口に位置する場所に閉じる事の出来なくなった大きな穴があった。



ボクは、返事が返って来る事はもう無いと分かっていたが、狂ったように大声で泣き、何度も彼女の名前を呼び続けた。




















「愛される」と云う抽象的で形の存在しない幻を望み、掴もうと手を伸ばした所為で、マイナスと愛情の区別すらつかなかった。



愛は指の間を擦り抜けて、何処かに消えた。



失ったモノ程、大切なモノは無かった。



失ったモノ程、尊いモノは無かった。



失ったモノ程、儚いモノは無かった。



愛する人は直ぐ其処に居たのに。



愛してくれる人はすぐ其処に居たのに。



ボクは、全て失った。



傍に居た貴女が離れていくのを、ボクは止められなかった。



自分の行動で傷付けてしまった筈なのに、動けなかった。



貴女の幻想を抱きすぎて、それを求めすぎた。



だから、そのために払った代償が掛け替えの無いものだと云う事に気付けなかった。




















もう、全てが如何でも良い。



貴女の姿を見れない日常なんて望まない。



貴女の聲を聞けない日なんて望まない。



貴女の居ない世界なんて要らない。



此処はとても風が涼しく気持ち良い。



そんな陽の感情すらも、貴女への罪悪感に変わる。



もう、止めてくれる人は居ない。



あの時とは違うから。





「さくねえ、今そっちに行くからね」





ボクはそう呟き、躰を空へと投げ出した。



その途端、周囲の音が聞こえなくなった。



強風を全身に受けている筈なのに、その感覚すらも得る事が出来ない。



さくねえはボクの所為でどんなに苦しんだんだろう。



最後の最後まで。



ボクはさくねえが好きだ、って伝えられた時、どんな気持ちだったんだろう。



困ってたかな?



若草学院でボクが起こしたあの事、あの時。



さくねえは止めてくれたっけ?



あ、アハハ・・・思い出せないや・・・



ボクが考えているのは、貴女の事だけ。



だけど、自分への憤りなんかは全く無かった。



あるのは、貴女にもう一度出逢える喜び。



ボク・・・今、倖せかな?



うん。



多分、そうだね。



ボクは云った。



云えたのか分からない。



でも、最後に残した。



あの人の名前。



『さくねえ』



そして、長かったのか短かったのか区別の付かない時間の後、目の前が真っ赤に染まった。













































































『さくねえ、ボクの事、憎んでる?』



『ん・・・?如何して?そんな訳、無いじゃない。何云ってるのよ、バカね・・・』



『・・・有難う、さくねえ・・・・・・ねぇ、もう一度伝えたい事があるんだ・・・』



『何かしら?良いわよ、何でも云って』



『うん・・・云うね。ボクさ、さくねえの事、好きだよ』



『・・・・・・フフッ・・・嬉しいわ。また其の聲で其の言葉を聞けて』



『・・・ねえ、今度は・・・ううん、今度もずっと一緒に・・・居てくれる?』



『ええ、勿論。何時までも、一緒に居るわ』



『うん。約束、だよ!絶対に、置いてかないでね!』



『・・・ええ』












































































此のお話の別名は『ハッピーエンド』
私は二人の為にそう名付けます。
2001.12.03
     
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