砂浜に波が打ち寄せる。
水と水が、そして砂がぶつかり合う音。
そんな微かな音が、幾千万も折り重なり、波の音を形成する。
一定のタイミングで響く、心情によっては心地良くも、やかましくも聞こえる、不思議な音。
其れは、今の私には心地良くも、やかましくも聞こえない。
ただ、底の無さそうなやるせなさともどかしさを感じさせた。
…今、私の手には温かい缶珈琲が、二つ握られている。
あたり付きの自動販売機など、最近はあまり見かけない上、今まで一度も当たった事はなかった。
だから、こんな事になるとは思わなかった。
あたりが出たから、もう一本おまけ。
そんな事を云われて、もう一本をすぐに思い付くほど、私は決断が早い方ではない。
だからと云って、自動販売機の前で考え込むほど、のんびりするつもりもなかった。
どうせなら、兄くんと一緒の時に当たってくれれば良いのに。
別に金銭的に得するから、ではなく、私は兄くんと一緒にいる時に当たる、と云う事を望んだ。
今度もう一度、同じ場所で購入してみよう。
勿論、兄くんと一緒の時に。
そう思いながら、私の珈琲を飲みたいと思う欲求は、もう一度同じボタンを押させていた。



マリンドライブ



「はぁ………」
私はテトラポットの近く、砂浜とは違う静けさのある場所にあった、錆び付いたベンチに座った。
先程自動販売機から、二本の缶珈琲を取り出した時の物に似た溜息を吐く。
私は二本ある缶のどちらのプルタブにも、まだ手を付けていなかった。
二本の温かい缶珈琲の温度が、手の平をじんわりと温める。
こうして私が海を見つめている中、どれだけの時が経ったのだろう。
今、君は何をしているのだろう。
「兄くん……」
無意識に呟いてみて、孤独にも似た感覚を覚える。
近くにいると愛しさが募り、別れへの恐怖を想像し、堪えきれずに離れてしまう。
離れていてもまた、愛しさが募る。
何度生まれ変わっても、取り消される事がなく、蓄積される愛情。
時々私は、今は確かに記憶に刻まれている、今までの生が重ねた想いの重圧に、潰されてしまいそうになる。
死が別れになるのなら、いっそ此の手で。
そう思った事さえあった。
私がそんな考えを止めた理由は…
「………おや…」
視界の端に見慣れたシルエットを見付け、其方を振り返る。
そして、私はベンチから立ち上がった。
「やあ………咲耶ちゃん………奇遇だね………」
私は歩み寄りながら、聲を掛けた。
遠目に見ても、其のガーリッシュな魅力を感じさせる咲耶ちゃんは、やはり魅力的に振り返る。
そして、彼女は私と目が合うと、微笑む。
其の時、私は思わず目を逸らしてしまった。
次の瞬間には後悔したが、咲耶ちゃんは気にしていない様子で微笑んでいた。
「ハァイ、千影ちゃん。如何したの、こんなところで」
咲耶ちゃんは私の前まで小走りで駆け寄り、そう云った。
私は問いに答えるよりも先に、先刻まで私が座っていたベンチを向き、座ろうと視線で促す。
「私は………ただの散歩だよ………咲耶ちゃんこそ………」
私はベンチの、先程よりも少し右にずれた場所に座りながら云う。
私の無言の指示通り、空いた左側に咲耶ちゃんは座った。
「私は…いえ、私も散歩よ。ウフフッ…でも、こんなところで千影ちゃんに出逢えるなんて…運命かしら?」
「ふっ………そうかもね……」
冗談めく彼女に、私はふっと微笑む。
私が力ずくで兄くんを自分の物にしようとしない理由。
其れが咲耶ちゃんの存在。
そして、其の咲耶ちゃんと私を繋ぎ止める理由。
其れが、兄くんの存在だった。
「ああ………丁度良かった………缶珈琲………飲むかい……?」
私は彼女の太股の上に缶珈琲を差し出しながら、訊ねる。
「ええ、有難く頂こうかしら」
肯定の返事を聞き、私は差し出された彼女の手の平に珈琲を落とした。
少し冷め掛けていた温もりが、片手から消える。
「んっ…温かい……」
咲耶ちゃんは缶を受け取ると、軽く抱き締めるように、其れを胸の前まで持っていった。
そして彼女が俯くと、無言の間が出来た。
突然黙り込まれ、不思議に思って見つめていると、彼女はふと顔を上げる。
「ねえ、千影ちゃん…」
「ん………何だい………?」
名前を呼ばれ、改めて目を合わせると、咲耶ちゃんの表情は何とも表現し難くなっていた。
不安も、悲しみも、喜びも、希望も満ちた表情。
「私達、倖せになれるのかしら…」
普段の澄み通った聲のまま、咲耶ちゃんは問うた。
如何したんだい、突然。
そう訊き返しても良かった。
ただ、何故私に訊ねたのかは分からないが、何故訊ねたいと思ったのかは、分からなくは無い。
私は何となく、また目を逸らした。
「……なれるよ………きっと………」
根拠は無い。
自信も無い。
おそらく直視しながら同じ言葉を云う事は出来ない。
だが、私は此の言葉を選んだ。
なら何故、此の言葉を選んだのだろう。
其れは私が…
「フフッ…」
笑い声に驚き、私は視線を戻す。
咲耶ちゃんは口の前に手を持ってきて、笑う口元を隠していた。
「何が………可笑しいんだい………?」
私は不快を装い、咲耶ちゃんに訊ねる。
心底では、咲耶ちゃんの言葉に興味があった。
此れは意図を聞き出す為の誘導尋問。
「あ、ごめんなさい。でもちょっと、似てるなぁって…」
一つだけ咳払いをし、咲耶ちゃんは表情を微笑みに戻す。
「誰にだい………?」
更に問い詰めると、彼女は珈琲の缶の表面を指で撫でた。
「そうね…」
そう云いながら、彼女は考えているような動作をしたが何故か、ただのフリだな、と私は思った。
そして、咲耶ちゃんの口が静かに開く。
「私に」
答えは、聞かずとも分かっていた。
だが其れでも、何とも云えない感覚に襲われる。
喜び。
例えるなら、最適なのは其れだ。
「如何して………」
そう思うんだい?
其の言葉を云うよりも早く、咲耶ちゃんはこう云った。
「千影ちゃんも、不安なんでしょう?」
…瞬間的に、心を見透かされたような感覚を覚えた。
そして次の瞬間には納得をしていた。
そうか、そう云う事か、と。
似たいとは思わない。
似せたいとも思わない。
ただ、似ているのは変えようの無い事。
其れは私に喜びを与えた。
倖せになれるかと云う質問に対して返した言葉は、云われたいと云う願望があったから。
果たして、私の弱さに咲耶ちゃんが影響されたのか。
其れとも、咲耶ちゃんの弱さに私が影響されたのか。
「フフッ………君には何も………隠せないな………」
だが、咲耶ちゃんに似るのなら、悪い気はしない。
そう思いながら、私は缶のプルタブを起こし、戻した。
そして、私を見て、咲耶ちゃんも同様にプルタブを起こす。
「そうだね………同じだよ………君も………私も………」
……今度私が海に来る時は、また独りなのだろうか。
出来るなら、二人が良い。
そう、願わくば兄くんと……
…あるいは……
「…それじゃ、私達の素晴らしい姉妹愛を確かめられたところで……乾杯」
咲耶ちゃんは相変わらずの微笑みのまま、珈琲の缶を私の胸の高さへ掲げる。
私は咲耶ちゃんの瞳を見つめ、微笑み返した。
「ああ………乾杯………」
カンッ……
スチールがぶつかり合う振動が、茶色の水面と大気を、小さく揺らした。



fin...


【後書】
マリンドライブな気分ってどんな気分だ。

     

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