「また怪我をしたのかい……?」
千影ちゃんは私の手を見て、驚きと呆れの混ざった聲を吐いた。
「うん…でも、スパッと綺麗に切っちゃったから、すぐ治ると思うけど…」
私は血だらけの右手を千影ちゃんに見せ、苦笑する。
血こそ出てあるが、傷自体は深い物ではない。
数日無理しなければ塞がり、痕も残らないだろう。
だから私は心配させないように、あえて笑ったのだが、逆に千影ちゃんは表情を普段の無に戻した。
しまった、と思い、つられて私も無表情になる。
すると、千影ちゃんはそんな私を見て、一瞬だけ微笑みを見せた。
そして無言で私の右手をハンカチで包んでくれた。
「あ、ごめんね、ハンカチ…」
とっさに左手でハンカチを傷口から離そうとしたが、其の左手も血で汚れている事に気付き、止めた。
「…気にしなくて……良いよ……」
千影ちゃんは部屋の引き出しの中から、ガーゼと包帯を取り出す。
「……で、如何して私のところに……?」
沢山の透明な瓶の並んだ棚から何かを探しつつ、振り返らずに千影ちゃんは問う。
棚の中の瓶には、ほとんど無色透明な液体が入っていた。
いずれにもラベルが貼ってないので、私には其れが何か以前に、見分けすらつく筈もない。
しかし、数は少ないが有色の液体ならば、教えてもらいさえすれば分からなくもないのだろう。
ただ、千影ちゃんが教えてくれるとは思わないけれど。
「千影ちゃん、前治療してくれた時、上手かったから」
私が答えると同時に、千影ちゃんは棚の中の一つの瓶を手に取った。
やはり其れは、無色の液体だった。
「そう、かな……自覚は全く無いのだけど……」
千影ちゃんは複雑な表情をしながら振り返る。
其処に照れは感じず、代わりにあるのは確かな困惑だった。
「上手いって。前の怪我、すぐに治っちゃったもん」
「…ああ……そう云う事、か……」
千影ちゃんは聲を出さずに微笑った。
そして、また無表情に戻った千影ちゃんは瓶の蓋を開け、ガーゼを浸す。
「痛いだろうけど……少し……我慢しててね……」
そう云い、浸したガーゼを長いピンセットで摘み上げる。
先程から千影ちゃんが何処から医療道具を取り出しているのか気付かなかったが、どうやら引き出しの一段全部が救急箱のような中身らしい。
意外だった。
此の薄暗く神秘的な部屋の中で、唯一身近に感じた部分だったからだろうか。
其れとも、姉妹全員で共用している救急箱があるにも関わらず、自室に医療道具を置いているのを不思議がっているからだろうか。
後者は…私も人の事はいえないね。
私もラボに医療道具を置いている。
本格的に揃っている千影ちゃんと違って、私は絆創膏と包帯程度の物だけれど、度合い抜きなら同じ事だろう。
そうすると、其れを身近に感じたって選択肢もあるか。
三つの内、どれが一番正解に近いのか、私には分からなかった。
ただ、いずれにせよ其の救急箱と部屋とのギャップに悪くはない感覚を覚えたのは事実だ。
そっとハンカチをどかされ、隠されていた傷口が再び視界に入る。
血をハンカチが吸ったお陰で、傷口がそのまま見えた。
しかし其れも一瞬で、再度溢れ出た血液で隠れる。
其処に液体で湿ったガーゼが触れ、私の痛覚を鋭く刺激した。
「あっ、つ……」
私は思わず聲を漏らし、顔をしかめた。
千影ちゃんは何も云わず、ガーゼを傷口から離す事もしない。
…千影ちゃんもそうなの…かな…?
私は痛みから意識を逃がす為、ぼんやりと先刻の思考を引き継いだ。
言葉の上での此の時の『そう』は引き出しに対しての『そう』とは全く違う物だ。
でも、私は二つの『そう』を同じ意味で使った。
「はい……おしまい……」
気付けば、ガーゼの感覚は傷口から消えていた。
「痛かったかい……?」
千影ちゃんの問いに、私は隠す事無く頷く。
すると千影ちゃんは、ふっと笑う。
私には何がおかしいのかは分からない。
でも、千影ちゃんは笑った。
「包帯くらいは自分で巻けるだろう……?」
問いに私が答えるより前に、千影ちゃんは私に包帯を投げ渡した。
反射的に受け取り、私は頷く。
「本当にありがとう、千影ちゃん」
私はお礼を云って立ち上がる。
動いた時に起こった傷の上でのほんの少しの薬の流れだけで、何故か神経の奥まで沁みるような痛みを感じた。
さっきまでとは打って変わった痛みに、耐え難いと思う以前に戸惑った。
また、千影ちゃんは微笑う。
「うん……じゃあ、またね……」
そう云いながら、千影ちゃんは瓶の蓋を閉めた。
私は千影ちゃんの部屋から廊下へと戻る扉を開く。
向こう側と此方側。
何かおかしくて、何か感じる。
「痛い治療が嫌だったら……もう私のところに頼みには……来ない方が良いよ……」
千影ちゃんは私の背中に向けて、そう云った。
少しだけ、胸に痛かった。
迷惑をかけていたんじゃないかって。
でも、其の後に気付いた。
そして、嫌われてるんじゃ、なんて思った自分を馬鹿だって思った。
怪我するな、って、そう云う意味で云ってくれてるんだ。
思えば、先刻もそうだったのかも知れない。
千影ちゃんは『痛むけど我慢して』と私に忠告をした。
だから私が痛みを感じた時に心配してくれなくても、優しくないとは云えない。
また、私から治療を頼んだのだから、此の答えは至極当然の事だと云える。
『我慢する』と云う答えをくれた時点で、千影ちゃんの優しさに触れていたのか。
そして、今千影ちゃんの優しさを感じる事が出来たのも…
私は開かれた扉の前で、振り返る。
そして、微笑った。
「不器用だね」
千影ちゃんも、微笑う。
「…お互い様だよ……」

今の言葉は、一体『誰』に向けた物?



FIN


【後書】
特になし。

     

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