HELLO MY LIFE






二月十一日。
初めてあの人に出逢った素晴らしい日。
そして、それによって幾つもの悲しみと虚無感に出逢う事になった元凶。
でもワタクシは、同じように幾つもの喜びと出逢った事も忘れません。
今でも・・・・・・そう、永遠に・・・





「はぁ・・・」
ワタクシは大きく息を吐く。
低い気温の所為で其れは白くなり、溶けていく様は視覚で確認出来た。
今座っている、塗料がまだ色褪せていないベンチの後ろの噴水の水が、やけに冷たそうに見える。
そして今度は逆に大きく息を吸い込み、立ち上がった。
軽く吹いた冬の風は寒く、鼻腔が空気を冷たく感じるよりも、袴の襟の隙間から入り込んだ其れが鳥肌を立たせる。
日本は今の自分と似たような服を着た人々が住んでいるのだと思っていたが、周囲を見ても和服の人は一人も居ない。
最初は本場の筈なのに何故かと疑問に思ったが、この寒さの中なら納得出来た。
ふと視線を噴水の周辺から移動すると、今度は小さな公園が目に入った。
其処には女の子が二人居た。
小さな幼稚園年長生くらいの女の子がブランコに乗っており、其れを面倒臭そうに相槌で相手をするカジュアル系の女の子。
対して容姿が似ている訳でもないのに、何故か二人は家族に見えた。
其の二人女の子には何故か目を惹かれる。
何故、なのだろう。
今まで感じた事の無い感覚に対するのは疑問以外の何でもなく、勿論答えも無い。
しかし、あまりジロジロと見つめるのは失礼だと思い、薄れない興味を掻き消して無理矢理視界を移動しようとした。
其の時だった。
何かが見えた。
瞬間的に驚き、もう一度公園内に視界を戻す。
・・・先程と変わらない光景。
だけど、先程は確かに見えた。
あの二人の少女に其々、小さい子に黒と桃色、そしてもう一人に黒と白の幻影が重なる様が。
突然、だった。
「・・・っ!」
頭が、痛い。
左こめかみの少し前方が、針を刺したように鋭く痛む。
掻き混ぜられたような眩みを憶えながら、頭を抱える。
目の前が真っ白になった。
痛みが恐怖の範囲まで、膨れ上がっていく。
・・・そして、数秒が経過した。
公園から視界が外れた事から、何故か痛みは当たり前のように消えていく。
完全に痛みが消えるのに二分と掛からなかった。
「はぁ・・・」
息を吐くと、やはり白くなった。
痛み等で不安定になった精神とは正反対に、躰はやはり冷えたままだ。
・・・そろそろ、行きましょうか・・・

ワタクシの両手の中で充分に温度を上げてきたホッカイロを握り締め、心の中で呟く。
半分、逃げるように・・・
日本に来るのはこれが初めてだったので、周囲を眺めて日常の雰囲気を見る為の休憩を終える。
そうだ。
其の為に此処に座って居たんだ。
無理矢理思い出してこじ付け、ベンチの背凭れに立て掛けて置いた訓練用の薙刀を握り、ワタクシは立ち上がった。
まだ見た事も無い家族に逢う為に、ワタクシは今日、日本に来た。
今度は疑問、戸惑い、不安等ではなく、明らかに楽しみだった。
ワタクシは目を細め、口を綻ばせる。
足取りが無意識に早くなっているのは、自覚しても治せなかった。
そう云えば・・・
数分歩いた後、ワタクシはふと立ち止まった。
お祖母さまがそう仰ってた事を思い出す。
日本に居るワタクシの家族の事をほとんど話してくれなかったお祖母様が、唯一ワタクシに話してくれた事。





ワタクシは何時も、お食事の際に日本について訊ねた。
お祖母様が其れを話してくださったのは、其の時で訊ねた回数が二桁に達した時だった。
「日本には、貴女にとって逢わなければならない人がいるわ」
ワタクシは右手からナイフを落とし掛けた。
反射神経が良かったので、落ちる前に左手で取る事は出来たが、ナイフの先端を握ってしまったので指先の皮が切れた。
それよりも、お祖母さまは日本の事を教えてくれないのだ、と諦めていたので、驚いた。
半分ほどは意地になって訊いていただけだった故、気が緩んでいたのかもしれない。
「逢わなければならない人・・・と申しますと?」
ワタクシは一旦フォークとナイフをお皿に置き、訊き返す。
そうしながら、ナイフを落とし掛けた先程の出来事を思い出してしまい、恥ずかしくなり俯いた。
「春歌さん、大丈夫ですか?・・・指を切ってしまわれたようね。少し待ってください、絆創膏を取って来ますわ」
お祖母さまはそう云って、椅子から立ち上がった。
「・・・申し訳御座いません」
ワタクシは指先を隠しながら、自分を責めた。
先程怪我をしなければ、日本の事を訊けたかもしれないのに。
暫らくして、お祖母さまが絆創膏を持って帰って来た。
ワタクシは改めて問う。
「逢わなければならない人とは、どんな方なのでしょうか?」
「あら・・・ワタクシ、そんな事申しましたかしら・・・・・・でも、まだ入院しているようですから・・・其の事はまだ気にしなくて結構ですわ」
お祖母さまはそう云うと、ワタクシに指を出させ、ばんそうこうを貼った。
ワタクシは今度こそ本格的に諦めた。





入院している人が居る、と思い出したのは丁度、ショッピングモールの中に並ぶ花屋さんの前だった。
店から漂う、様々な花の匂いが混ざり込み、逆に少し不快にも感じられる匂い。
しかし、その独特の匂いのおかげでだから思い出したというのもあるのだろう。
その店内
―――と云っても、露店なのでほとんど関係は無いが―――に入った。
ほんの少し考え、そして店員さんに聲を掛ける事にした。
「すみません、宜しいですか?」
他に一人も客は居なく、店員さんは直ぐに此方に応対する。
花束を一つ欲しいと云うと、何も訊かずに様々な種類の花の束を渡してきた。
其れは既に花束として売られている物だった。
問題の束ねられているのは菊等の黄色い花を纏めた物・・・
「あの・・・お見舞い用をお願いします・・・」
ワタクシが云い終え、店員さんがレジの奥に行って新しく花を束ね始めた其の時・・・
―――バサッ!
背後で大きな鳥が羽を広げたような音が聞こえた。
反射的に、振り返る。
「アイタタタタ・・・」
すると・・・こう云っては何ですが、変わった服を着た女の子が腰の辺りを擦っていた。
そして其の周りには店先の籠の中に入っていたチューリップが撒き散らされていた。
店前の真ん中付近にあった其れが、隣の店の敷地まで跳び出ていたので、彼女が勢い良くぶつかってしまったようだ。
そうだとすると、随分強かったのだろう、痛そうだ。
店員さんはレジの奥にいたが、先程の音に気付いたようだが、何故か駆けつけてなどはせず、花を束ね続けた。
「あの・・・大丈夫ですか?」
聲を掛けると、地面と平行に丸めた背中を向けていた彼女が上半身を起こした。
「だ、大丈夫デス・・・・・・って、ああぁっ!」
彼女は絶叫した。
頭を抱えて、四方に散らばったチューリップを見回す。
そして、彼女の顔を覗き込んだワタクシと彼女は、目が合った。
まるで時が止まったかのように、彼女は心此処にあらずと云う様子で、ワタクシを見つめる。
ワタクシは何となく、微笑んだ。
「気を付けてくださいね。大きなお怪我でもしたら大変ですわ」
無言になってしまった彼女に云い、ワタクシは散らばったチューリップを拾い始める。
「あっ!よ、四葉だけで拾いますから!」
そうか、彼女は『四葉』と云う名前なんだな。
ブンブンと手を左右に振る彼女を横目に、ワタクシは両手一杯にチューリップを集めた。
「あぅ・・・・・・ソーリーデス・・・」
四葉ちゃんは深く頭を下げ、謝った。
「どういたしまして」
様々な意味と、この喜びを有難うと云う意味で、ワタクシも礼と共に頭を下げた。
「あ、あの・・・此れ・・・」
ふいに、ワタクシの手が温かい四葉ちゃんの手に包まれる。
ワタクシの手の平に何かを乗せ、握らせた。
其れは、紺色のシンプルなリボン。
「お礼に受け取って欲しいデス・・・」
四葉ちゃんは、上目遣いに恐る恐るそう云った。
ワタクシはお礼を渡されるような事は何一つしていないのだけれど、握らされたリボンを離さず、手を胸に当てた。
「分かりました」
ワタクシがそう答えた時、片手に花束を握った店員さんがレジの奥から出てきた。
店員さんは、今度からは気を付けてくださいね、と四葉ちゃんに云った。
続けて、どうぞ、と云って、最後のチューリップを籠に入れたワタクシに花束を渡す。
お見舞いには最適だと思う、と店員さんはワタクシが訊く前に云ったので、其れに決めた。
値段を訊き、其の分のお金を払う。
日本の値段で其れが高いのか安いのかは、まだワタクシには分からなかった。
用を済ませたので、其の場から立ち去ろうと背中を見せると、聲が聞こえた。
「本当にありがとうございます!」
ワタクシは一旦振り向き、軽く御辞儀をする。
そして再び歩き出した。





特急の電車に揺られて約四十分、各駅停車に乗り換えてから十分、徒歩で十五分。
ワタクシは未だ見たことの無い姉妹の一人がいる、高原の診療所へと辿り着いた。
周りには緑以外に何も無く、その中に聳え立つ其の建物は、まるで本で見たユグドラシルのようだった。
ワタクシは受付で面会の許可を取り、病室の前まで案内して貰う。
其の時の看護婦さんの、おそらく眠っていると思いますよ、の言葉がとても心に引っ掛かった。
「失礼します・・・・・・」
ワタクシは病室の扉を開ける。
廊下と同じく、真っ白な壁に囲まれた眩しい部屋。
風に靡くカーテン、サイドテーブル、何も入っていない花瓶。
全てが純白だった。
そして、部屋の中央に存在する一つのベッドも、同じ。
其処に横になって居る一人の少女。
鞠絵。
病室の前に書かれていた彼女の名前。
ワタクシは其れしか知らない。
花瓶の前に立ち、中を覗く。
水は入っていない。
ワタクシは花瓶の前に花束を置いた。
そして、其れを見つめる。
花の種類についてはあまり詳しくない。
其れでも分かるのは、桃色の薔薇とスイトピーだった。
溜息を一つ吐き、ワタクシは彼女の寝ているベッドの脇のパイプ椅子に腰を降ろす。
静かだった。
何も無かった。
音も、聲も。
先程の溜息は其れを濁す為だったのかもしれない。
此処でずっと過ごすのは・・・どんな気持ちなんでしょうか。
ワタクシは、ふとベッドに目をやった。
そして改めて鞠絵ちゃんの顔を見る。
・・・・・・っ!
ズキン、と頭が痛んだ。
ワタクシは片目を瞑り、其れに耐えながら片目で彼女の顔を見続ける。
痛みは消えない。
それよりもワタクシは・・・ただただ、惹かれた。
彼女に。
分からない。
分からないけれど。
もしかしたらワタクシは今まで、守る理由の存在する人を探していたのかもしれない。
この人が病気だから、とか、姉妹だから、とか・・・そんなのは無意味だった。
もしこの人が全くの他人でも、そう思っただろう。
この人である限り・・・
・・・守ってあげたい・・・
思いはそれだけだった。
そう思った瞬間、スッと痛みが引いた。
ワタクシはサイドボードへ先の商店街の花屋さんで買った、名前も知らない花達の束を置く。
『          』
突然、だった。
何処からか何かが聴こえた。
ほぼ無意識に、それが何かを思考するよりも早く、病室の扉へ視線を動かす。
・・・誰も、何も、無かった。
ただ、無音だけが其処にはあった。
不思議に思いながらも、駅のホームで響いた小銭の音のような、一瞬の興味で終わる。
しかし、もう一度鞠絵ちゃんの顔へ視線を移した時、再び疑問は現れて驚愕へと姿を変えた。
・・・目の前のベッドで眠っていた筈の鞠絵ちゃんが、目を開いて此方を見ていた。
「有難う御座います」
そう、透き通るような、綺麗な聲ではっきりと言葉を口にした。
其れとは対照的に・・・いや、其の出来事単体で異様だった。
・・・口の動きと聲が、合っていなかったのだ。
まるで目の前にスクリーンが存在し、其処に壊れた機械で投影された映像を見させられている感覚に陥る。
其処に存在する状況が上手く掴めず、聲を出そうにも何を発そうとしたいのかが理解出来なかった。
そして、スクリーンは消えた。
現実目の前に居るのは、病気で入院をしていて、眠りに就いている聲も知らない親族だった。
急に幕を下ろされた現実に湧き上がってきたのは、感動でも不快でもない余韻、疑問。
一体何に対してなのかは、自分でも整理出来ない。
分からない事だらけだった。
此処がドイツではないから、初めて来た日本だからとか、そう云うレベルではなく、理解不能だった。
此の人は・・・一体・・・
鞠絵ちゃんの頬に手を添えた。
もう先程とは違い、痛みは無かった。
先程とは違い、おかしな事は何も無かった。
ワタクシ自身が可笑しくなってしまっていたのではないか。
そうとすら思った。
ふと、病室に掛かっている時計を見た。
そろそろ・・・白並木に戻らなければなりませんね・・・
もう一度、鞠絵ちゃんに視線を移す。
とても複雑な心境に目を細めた。
嬉しさ、不可解、困惑、悔しさ、無力感、焦燥感、もどかしさ。
・・・・・・悔しさ?
何が悔しいのだろうか。
其れは今のワタクシには分からなかった。
「また、逢いましょう」
そう云い、ワタクシは病室を後にした。





「・・・あら?」
「ええっ!?」
思わず、手元の地図と現在位置を照らし合わせてしまった。
此処で良い筈・・・ですわよね・・・?
四葉ちゃんも同じように地図を見ていた。
良く見ると其の地図は、ワタクシの手の中にある物と同じ。
「「まさか・・・」」
二人の言葉が重なった。
「・・・のようですわね」
「偶然ってミステリーデスね!此れからヨロシクオネガイします、姉チャマ!」
「あ、姉チャマ・・・?」
日本には不思議な言葉もある物だ。
目の前の、花屋で偶然逢った少女が妹だったなんて、今も実感が湧かない。
ワタクシの日本に居る姉妹と云うのは、鞠絵ちゃんだけかと思っていた。
知らない事を知っていて、お祖母さまはワタクシに云わなかったのかもしれない。
・・・いえ、人を疑うなんていけませんわね!
きっと、ワタクシを喜ばせる為にあえて黙っていたのでしょう。
ワタクシはそう思い込むことにした。
「キャー!姉チャマー!姉チャマー!」
四葉ちゃんは突然騒ぎ出し、抱き付いてきた。
「ちょっ・・・どうなされたのですか、四葉ちゃん?」
顔がカーッと熱くなった。
抱き付かれるなんて、初めての事だった。
如何すれば良いのか迷っているワタクシに構わず、四葉ちゃんはワタクシの胸に顔を埋め、頬擦りをした。
「ずーっと姉チャマに逢いたかったんデス!あぁん、もう四葉倖せデスッ!」
そして急に顔を上げ、ワタクシの瞳を見つめる。
「あっ、四葉のネームは四葉デス。呼び方は姉チャマに任せますネ」
四葉ちゃんはあまり意味の無い挨拶をした。
ワタクシは落ち着く為に、コホン、と一つだけ咳をした。
「春歌と申します。宜しくお願いしますわね、四葉ちゃん」
改めて自己紹介を終えた後、ワタクシはやっと現状を飲み込め始め、本当に突拍子も無い出来事に笑ってしまった。
しかし、ワタクシも四葉ちゃんも、目の前の家の玄関の扉を開くまでは知らなかった。
目の前の姉妹と鞠絵ちゃん以外、自分に九人も姉妹がいたなんて。





「本当に驚きました。まさか十二人姉妹だったなんて・・・」
「他人事じゃないわよ。貴女も其の内の一人なのだから♪」
ツインテールの少女、咲耶ちゃんは云った。
ワタクシよりも年上らしいので、姉君さまと呼ばせて頂きたかったが、堅苦しい、年上は一人だけではない、と云う理由で却下された。
四葉ちゃんも、自分にワタクシ以外の姉が居ると知って、とても困っていた。
なので、ワタクシが其の呼び方でなくても構わないと云うと、とても喜んだ。
「ところで、今此処には居ない姉妹の事は分かるかしら?」
此の場に居るのは、ワタクシ、咲耶ちゃん、四葉ちゃん、鈴凛ちゃん、雛子ちゃん、衛ちゃんだ。
可憐ちゃん、花穂ちゃんは買い出しに行っていて、白雪ちゃんと亞里亞ちゃんはキッチンに居る。
「鞠絵ちゃんならば、お見舞いに行ってまいりましたので」
「へぇ・・・随分時間掛かるのに行ってあげたんだ。優しいわね」
確かに時間は掛かった。
電車を使っても一時間以上掛かったのだから。
でも、家族の為と思えば・・・
「いえ、当然ですわ」
其れに、ワタクシはお祖母さまの言葉を気にしていたからと云うのもある。
「じゃあ、千影は?」
「残りの一人は千影ちゃんと云う方なのですね」
「『ちゃん』って感じではないけれどね。あ、気にしないで、此方の話。千影は・・・」
咲耶ちゃんが話をしようとした丁度其の時、玄関のチャイムが鳴った。
『約束』
何故か瞬間的に其の単語が頭に浮かび、ワタクシは真っ先に玄関に向かっていた。
何故だろう。
どこかで感じた不思議な感覚。
胸の鼓動が高鳴る。
まるで責任感のような・・・そう、例えば・・・
玄関の鍵を開け、扉を開くと同時にワタクシはこう云っていた。
「こんばんわ、はじめまして。鞠絵ちゃん、千影ちゃん」





FIN

     

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